毎日頭の中が先生でいっぱいです
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こんばんは、あついですね、マスダです。
なにがいやって、もうあせもがぷちぷち出ることです。あと、蚊に血を食べられることです。いや、蚊に食料を提供するのは死ぬわけじゃないし別にかまわないんですが、さすがにひとが帰ってきて、玄関に入ろうとしたときに、ものすごい勢いでやってくるのはやめていただけませんか(笑)なんかちょっと面白いっていうか、どんだけ腹が減ってるんだと思うと笑えます。。
さてさて、ついったでJK試験問題を絶賛(←え)配布中ですが、とうとう別アカウントにて本格単独運用を始めました。なんだか毎日出題するのが楽しいです(笑)よかったらちらっと覗いて妄想の足しにしてください笑
あ、でも内容が内容なので、鍵をかけてます。。。すいません。。内容見たい方はフォローしてやってください……申し訳ない。
拍手ぱちぱちどうもありがとうございます! いただいたコメントのお返事はお返事ページにしてしております。
メルフォでいただいたコメントのお返事はつづきから。。。
なにがいやって、もうあせもがぷちぷち出ることです。あと、蚊に血を食べられることです。いや、蚊に食料を提供するのは死ぬわけじゃないし別にかまわないんですが、さすがにひとが帰ってきて、玄関に入ろうとしたときに、ものすごい勢いでやってくるのはやめていただけませんか(笑)なんかちょっと面白いっていうか、どんだけ腹が減ってるんだと思うと笑えます。。
さてさて、ついったでJK試験問題を絶賛(←え)配布中ですが、とうとう別アカウントにて本格単独運用を始めました。なんだか毎日出題するのが楽しいです(笑)よかったらちらっと覗いて妄想の足しにしてください笑
あ、でも内容が内容なので、鍵をかけてます。。。すいません。。内容見たい方はフォローしてやってください……申し訳ない。
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メルフォでいただいたコメントのお返事はつづきから。。。
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こんばんは、あついのだまったくいやいになるのだ、マスダです。今日はちょっと早めに出現!
えっと、老人ものをあげておきましたよう!大事なことなので、何度でも書きますが、くれぐれも趣味が合わないと思われる方は読まないでください。お願いします。
もうゆったり穏やかなふたりが好きだ……(笑)とりあえず好きだ……そんでいくつになってもいちゃこいてるのが好きだ……これを、現代文化用語で現実逃避という笑
まあそれは冗談にしても。
最近死ぬ瞬間のこととか、死ぬことに興味があってだね、どうやって死ぬのがいいか、というようなこと考えるんだけど、やっぱり死ぬことに対して抗うもんじゃないなっていう意見に到達する。死は人間に義務づけられた現象であるわけだから、それをあんまり不自然に回避しようとするのはいかがなものか、とはわたくしも思う。死ぬことが悪いことなんて明確に定義されたこと、たぶん一度もないしね。
かといって、自ら死期を選ぶというのも、これまたたぶんどうなんだろう、とも思う。しょせん人間は地べた這いずりまわって生きてる人間なわけで、それならそれなりの、なんとなく調和した生き方というか、そういうものがあるんじゃないかなあと思う。そんで、その先に待っているものが、死であるよ、と考えると、とてもいいじゃん人生! と思えるんだけど、たぶんこれはあんまりわかってもらえない感覚かもしれないな。
とにかく、死、という現象は昔から人間にとっては大問題なわけで、このことを考えていくと即生きる意味とかなんかそういうところへつながっていくんだけれど、そしてもっと飛躍してしまうと宗教とかにつながっていってしまうと思うんだけれど、個人的に宗教に救い求めてもなんかどうしようもないっていうか、どうにかしてくれそうな宗教が見あたらないっていうか、いま宗教やってるひとたちって、精神的なものとか霊的なものとかよりも結局金のことしかなさそうに見えるから、あんま信用ならないっていうかなので、どこらへんで生死やらなにやらを考えるか、となると結局自分の自覚しかないということになってくる気がする。自分の心構えというかね。
なんかそんなことをこのところ思ってたら、こういうのができた。またきっと、自分の中での考え方も変わっていくだろうけど、いまは、結構死というものと、いずれひとつにならなくちゃならないのだから、仲良くしておきたいと思っています。
拍手ぱちぱちありがとうございます。。いつもほんとうにありがとうございます。大いに励ましていただいてます。。。
えっと、老人ものをあげておきましたよう!大事なことなので、何度でも書きますが、くれぐれも趣味が合わないと思われる方は読まないでください。お願いします。
もうゆったり穏やかなふたりが好きだ……(笑)とりあえず好きだ……そんでいくつになってもいちゃこいてるのが好きだ……これを、現代文化用語で現実逃避という笑
まあそれは冗談にしても。
最近死ぬ瞬間のこととか、死ぬことに興味があってだね、どうやって死ぬのがいいか、というようなこと考えるんだけど、やっぱり死ぬことに対して抗うもんじゃないなっていう意見に到達する。死は人間に義務づけられた現象であるわけだから、それをあんまり不自然に回避しようとするのはいかがなものか、とはわたくしも思う。死ぬことが悪いことなんて明確に定義されたこと、たぶん一度もないしね。
かといって、自ら死期を選ぶというのも、これまたたぶんどうなんだろう、とも思う。しょせん人間は地べた這いずりまわって生きてる人間なわけで、それならそれなりの、なんとなく調和した生き方というか、そういうものがあるんじゃないかなあと思う。そんで、その先に待っているものが、死であるよ、と考えると、とてもいいじゃん人生! と思えるんだけど、たぶんこれはあんまりわかってもらえない感覚かもしれないな。
とにかく、死、という現象は昔から人間にとっては大問題なわけで、このことを考えていくと即生きる意味とかなんかそういうところへつながっていくんだけれど、そしてもっと飛躍してしまうと宗教とかにつながっていってしまうと思うんだけれど、個人的に宗教に救い求めてもなんかどうしようもないっていうか、どうにかしてくれそうな宗教が見あたらないっていうか、いま宗教やってるひとたちって、精神的なものとか霊的なものとかよりも結局金のことしかなさそうに見えるから、あんま信用ならないっていうかなので、どこらへんで生死やらなにやらを考えるか、となると結局自分の自覚しかないということになってくる気がする。自分の心構えというかね。
なんかそんなことをこのところ思ってたら、こういうのができた。またきっと、自分の中での考え方も変わっていくだろうけど、いまは、結構死というものと、いずれひとつにならなくちゃならないのだから、仲良くしておきたいと思っています。
拍手ぱちぱちありがとうございます。。いつもほんとうにありがとうございます。大いに励ましていただいてます。。。
こんばんは、もうほんとにあついわねえ毎日毎日。。チャリこいでると問答無用で腕が焼けていきます。日焼け止めなんて……効果ないんだぜ……(笑)
さてさて、わたくしの子宮には筋腫さんがいるわけですが、なんか最近このこと仲良くなりたくてですね(笑)なんとか切らなくてもいいような方法ないかなーと思って、病院探してたわけですよ。んで、なんかよさそうなとこ見つけたので、今日行ってきました。
うん、勘は当たった! どうやら、うまいこと自分と調和してゆけそうです。
ほんと、どこに行っても云われるんだけども(この場合のどこに行っても、というのは、ある程度の人間というものへの理解のある場合の話ではありますが)、わたくしは思考優勢すぎるんだそうだ。自分がこうなったのには語れば長い経緯があって、まあ当時の自分としてはとても妥当な方法を選択したということでもあり、翻せばそれは自分のある程度の知性、っていうか猜疑心に根ざしてるから厳密には知性とは云えないけどもまあそう呼んでおく、そういうものを保証するものではあるけども、どうもそこいらへんのバランスというものが、大変不調和である! というのは前から思ってた。んで、そこをどうにかするところ、からはじめます。これ、筋腫となんの関係ある? という話だと思うけど、あるんだよ、たぶん。わたくしは、病気というのは不調和の総決算だと思っているので、いや、もっと特殊なケースも数え切れないくらいあると思うけれど、すくなくとも自分の場合はそうだという確証があるので、まあ気楽に気長に、おつきあいしていきます。
手術でとっちゃう、というのはとても手っ取り早いのだけれど、それをやってしまうとこの子、かわいそう、じゃあなんのために君は生れてきたんだいということになっちゃうじゃん、というくらいの、愛着がわいているわけ、筋腫に対して。病気に愛着? と思うだろうけれど、だってもともと自分の一部なわけだから、愛着がわかない方がおかしくないかい? それは、おれ絶対おまえのこと手放さないからな! という固執のような愛着ではなくて、自分の一部として感じるという意味の愛着。それは地道ながら、自分を肯定していく道筋の、ひとつでもある。
いや、ほんとにね、自己肯定というのは、吐き気をもよおすような陳腐な自己愛の理論では、決してないと思うよ。そういうのが好きなひととか、溺愛されたい願望がある方は、それでもいいと思うのだけど、わたくしは自己肯定というものはもっととてもシビアな確証と責任の自覚だと思う。自分というものがいかに小さいものであり、無力なものであり、おばかさんなものであるかを知りつつも、まあいっか、のあきらめに似た気持ちとともに、自己を日々リセットしつつ向上させつつ管理していく責任、に目覚めることであると思う。陽気なただの自分大好き、では、すくなくともわたくしの場合は、ないのです。自分を知り、それを肯定していくということは。肯定すればするほど、とても大きな責任のようなものを感じます。ひととしてこれだけは、為さねばならぬということがあるとも感じます。
とかなんとか、いろんなひとが書いていると思うけれど、ほんとに、病気ひとつでも学ぼうと思えばいろんな方向につながっていくよ。そうすると、人生とか、人間とか、もっとその上にあるものとか、いろんなものがわかってきます。人間は肉体だけの存在ではないし、そこに精神というものがあって、たぶん病気を作っていくのはこの精神の作用というか、それはもうものすごい力だと思うから、だから、別の見方をすればそれだけのものを自分の身体は持っているんだ、という、そういうちょっと逆説的な自信のようなものが、見方によっては生まれてきます。それが、わたくしが最近わかったことね。
日々いろんなことがありますが、道はちゃんとつながってます。そういう一日でした。。
あと、あんまり関係ないけど、続きに、知性というものと頭でっかちというところの境目について自分なりに考えていること。なんかピンとくる方だけ読んでね。きっとそんなあなたとわたくしは仲間(笑)
さてさて、わたくしの子宮には筋腫さんがいるわけですが、なんか最近このこと仲良くなりたくてですね(笑)なんとか切らなくてもいいような方法ないかなーと思って、病院探してたわけですよ。んで、なんかよさそうなとこ見つけたので、今日行ってきました。
うん、勘は当たった! どうやら、うまいこと自分と調和してゆけそうです。
ほんと、どこに行っても云われるんだけども(この場合のどこに行っても、というのは、ある程度の人間というものへの理解のある場合の話ではありますが)、わたくしは思考優勢すぎるんだそうだ。自分がこうなったのには語れば長い経緯があって、まあ当時の自分としてはとても妥当な方法を選択したということでもあり、翻せばそれは自分のある程度の知性、っていうか猜疑心に根ざしてるから厳密には知性とは云えないけどもまあそう呼んでおく、そういうものを保証するものではあるけども、どうもそこいらへんのバランスというものが、大変不調和である! というのは前から思ってた。んで、そこをどうにかするところ、からはじめます。これ、筋腫となんの関係ある? という話だと思うけど、あるんだよ、たぶん。わたくしは、病気というのは不調和の総決算だと思っているので、いや、もっと特殊なケースも数え切れないくらいあると思うけれど、すくなくとも自分の場合はそうだという確証があるので、まあ気楽に気長に、おつきあいしていきます。
手術でとっちゃう、というのはとても手っ取り早いのだけれど、それをやってしまうとこの子、かわいそう、じゃあなんのために君は生れてきたんだいということになっちゃうじゃん、というくらいの、愛着がわいているわけ、筋腫に対して。病気に愛着? と思うだろうけれど、だってもともと自分の一部なわけだから、愛着がわかない方がおかしくないかい? それは、おれ絶対おまえのこと手放さないからな! という固執のような愛着ではなくて、自分の一部として感じるという意味の愛着。それは地道ながら、自分を肯定していく道筋の、ひとつでもある。
いや、ほんとにね、自己肯定というのは、吐き気をもよおすような陳腐な自己愛の理論では、決してないと思うよ。そういうのが好きなひととか、溺愛されたい願望がある方は、それでもいいと思うのだけど、わたくしは自己肯定というものはもっととてもシビアな確証と責任の自覚だと思う。自分というものがいかに小さいものであり、無力なものであり、おばかさんなものであるかを知りつつも、まあいっか、のあきらめに似た気持ちとともに、自己を日々リセットしつつ向上させつつ管理していく責任、に目覚めることであると思う。陽気なただの自分大好き、では、すくなくともわたくしの場合は、ないのです。自分を知り、それを肯定していくということは。肯定すればするほど、とても大きな責任のようなものを感じます。ひととしてこれだけは、為さねばならぬということがあるとも感じます。
とかなんとか、いろんなひとが書いていると思うけれど、ほんとに、病気ひとつでも学ぼうと思えばいろんな方向につながっていくよ。そうすると、人生とか、人間とか、もっとその上にあるものとか、いろんなものがわかってきます。人間は肉体だけの存在ではないし、そこに精神というものがあって、たぶん病気を作っていくのはこの精神の作用というか、それはもうものすごい力だと思うから、だから、別の見方をすればそれだけのものを自分の身体は持っているんだ、という、そういうちょっと逆説的な自信のようなものが、見方によっては生まれてきます。それが、わたくしが最近わかったことね。
日々いろんなことがありますが、道はちゃんとつながってます。そういう一日でした。。
あと、あんまり関係ないけど、続きに、知性というものと頭でっかちというところの境目について自分なりに考えていること。なんかピンとくる方だけ読んでね。きっとそんなあなたとわたくしは仲間(笑)
こんばんは、あっちいです、部屋が。。マスダです。。
一応、昨日……じゃないな、今日だな、七夕ものっていっていいのかどうかわからないものをあげておきました。なんであんな話になったかっていうと、時間っていうものと過去ってものについてなんかぼやーっと考えてて、そんでなんか過去を見るといまってもののほうが幻想っていうか、現実感ってのはいったいいまを生きてることから生じるのか、それとも生きてる時間軸はどこでもよくって、なにかを生々しく感じていることから生じるのか、とか思って、んで、たぶん後者だって結論に至ったので、なんかそんなようなにおいのするものを書いてみた。
最近時間ってものが気になってねえ。。存在と時間? うん、途中で挫折した(笑)哲学は、嫌いじゃないんですが、向き不向きが激しいですね。理解できるかどうかみたいなところが。わかるやつは読んだ瞬間にわかるけど、わからんやつは何度読んでもわからん。。。あれです、得意科目みたいなもんです。
んで、いまここ、という時間はどこにあるか、とか、まあ疑問は尽きないけれども、時間は永遠の現在とも云うし、そのへんたぶん人間の言語ではきっと説明できないと思うから、あんまり考えててもしょうがないんだけど。
なんか、時間軸をものすごくいじくったものを書くってのもひとつの夢ではある。まあ、そのうちにね。
とか、なにを書いてるかわからなくなってきた(笑)いろいろ野望はあるのよ。力量がついていかないだけで。。でもそういうものは、いずれ書けるようになったら書くと思うな。まあ気長に。
あ、そうそう、なつやすみものに、ユリさんを出そうかな、とかいう計画だけはあります。だけがあります。。間に合うかどうかは不明です。。間にあったらいいけどねー。あたいの頭の中のユリさんって、結構ぶっとんでいるんだよ(笑)いや、にいさんがあんなだから、たぶんユリさんも結構だよな、と思ってて。まあ、そろそろ書いてもいいかな、とか思っているので、書こうかな。もしかしたら全然関係ない話で出すかもしれないけど。
あ、そうだ、ユリさんは、ふたりの関係を知っているのかどうかわからない(笑)どっちなんだろうねー。どっちですか? 知ってて知らないふりをしているんですか、それともリアルに知らないんですか? 教えてください、えらいひと。。。
一応、昨日……じゃないな、今日だな、七夕ものっていっていいのかどうかわからないものをあげておきました。なんであんな話になったかっていうと、時間っていうものと過去ってものについてなんかぼやーっと考えてて、そんでなんか過去を見るといまってもののほうが幻想っていうか、現実感ってのはいったいいまを生きてることから生じるのか、それとも生きてる時間軸はどこでもよくって、なにかを生々しく感じていることから生じるのか、とか思って、んで、たぶん後者だって結論に至ったので、なんかそんなようなにおいのするものを書いてみた。
最近時間ってものが気になってねえ。。存在と時間? うん、途中で挫折した(笑)哲学は、嫌いじゃないんですが、向き不向きが激しいですね。理解できるかどうかみたいなところが。わかるやつは読んだ瞬間にわかるけど、わからんやつは何度読んでもわからん。。。あれです、得意科目みたいなもんです。
んで、いまここ、という時間はどこにあるか、とか、まあ疑問は尽きないけれども、時間は永遠の現在とも云うし、そのへんたぶん人間の言語ではきっと説明できないと思うから、あんまり考えててもしょうがないんだけど。
なんか、時間軸をものすごくいじくったものを書くってのもひとつの夢ではある。まあ、そのうちにね。
とか、なにを書いてるかわからなくなってきた(笑)いろいろ野望はあるのよ。力量がついていかないだけで。。でもそういうものは、いずれ書けるようになったら書くと思うな。まあ気長に。
あ、そうそう、なつやすみものに、ユリさんを出そうかな、とかいう計画だけはあります。だけがあります。。間に合うかどうかは不明です。。間にあったらいいけどねー。あたいの頭の中のユリさんって、結構ぶっとんでいるんだよ(笑)いや、にいさんがあんなだから、たぶんユリさんも結構だよな、と思ってて。まあ、そろそろ書いてもいいかな、とか思っているので、書こうかな。もしかしたら全然関係ない話で出すかもしれないけど。
あ、そうだ、ユリさんは、ふたりの関係を知っているのかどうかわからない(笑)どっちなんだろうねー。どっちですか? 知ってて知らないふりをしているんですか、それともリアルに知らないんですか? 教えてください、えらいひと。。。
こんばんは、梅雨って明けたんですか、まだなんですか、どうなんですかマスダです。7月も、なんだかんだいってるとすぐ終わりますよきっと。夏なんて、きっとあっという間だ!もうちょっとがまんがまん。。。夏は好きでない……あちちあちちでとけてまう。
さてさて、本日休みだったのでカウンセリングの日ーとか云って、いってきました。
最近の結論としては、マスダさんは半病人のまま生きようと思っているというところです。個人的には、だいぶ自分の精神的なものと調和してきたと思います。調和する、というのはわたくしの場合、かならずしも病気を治す、というところにはいかなくて、そこのドアを開けることもできるし、閉めることもできる、という状態を指します。
わたくしの場合、精神的な闇の中へ降りていく作業は、ときにどうしても必要です。ときどきは、ものすごい波の中にもぐりこんでいかないと、生きていることすら忘れるので、そこはちゃんとつかまえておくために、絶対的に暗部が必要です。そんで、その段階が終わったら、ドアを開けて出てきます。そういうことが、自在にできるようになることが、真に病気と調和することだとわしは思う。
いや、まあそもそも、わし病気なのかというと、そうじゃない気がする。精神的な病というのは多数派に対して少数派という、単なる数の原理によるものが結構あると思うから、少数派だからって病気であるわけでもないと思うんだ。自分でいうのもなんだけど、あたい結構自分の中身が明と暗にものすごい幅で分離しておるけれども、その幅が自分というか、そこがあるから成り立つ自分があるわけです。その振れ幅がちょいとひとよりでかいので、なんかいろいろ大変だと思うけれども、まあそういう自分だからいいこともあるわけで、そこはもう認めるよりしょうがない。
あと最近思うこと。臆病さと繊細さは、絶対に必要です。どうあっても必要です。最初から放恣なひとがなにかを貫くことは割合に容易ですが、そうでないひとがそれでも手放せないもの、それだけがたぶん本物です。ほかの瑣末なことはどうでもよろしい。自分の情熱に水をぶっかけてもいかんし、同様に他人の情熱を非難してもいかん。
願わくば、いつも心の声を素直に聞ける感受性を維持していたいですね。これはとってもたいへんなことですけど。
あ、全然関係ないけど今後のさくぶんスケジュールについて。
今年の夏休みのお話は、できるかなあ。。できたらあげるね。まだネタがないのよ。10月のイベントもあるし、それ用の話も結構大量に書かないとならんから、もしかしたら手が回らないかもしれないけど、でもできるだけ頑張ります。書くことに関しては、どんどん負荷をかけたほうが自分にはいいみたいなんで、できるだけ頑張ります。。ネタがないという最悪の状況になったらごめんしてね。。。
あと、10月イベント用のは、たぶん3冊の予定だったはずが、4冊になるかもしれん。長いの2本、キリコ先生の短編集1本、ゲストさま有むふふふ本1冊。まあこれは筆の具合で。。あ、あとJK試験問題集1冊ね(笑)みなさんほんとに解答はお気軽に(笑)ついったーでお待ちしてます。
今年のクリスマスものはたぶんちゃんとあるよー。んで、そのあとの3年ものは、全然構想がないけど、たぶんやると思います。原稿用紙100枚のJKを書きたいよ……。。書くよ……!
こういう予定を考えてると楽しいです。あとで地獄を見るのは自分ですが、でもだいじょぶです、マスダが書き終わると云ったら終わります。さくぶんに関しては、ですよ。それ以外のことはてんでだめですけど。。なんかねえ、宣言するってやっぱり大事よ(笑)みなさんやりたいことはちゃんと云ったほうがいいです。ほんとです、まじで。。。
さてさて、本日休みだったのでカウンセリングの日ーとか云って、いってきました。
最近の結論としては、マスダさんは半病人のまま生きようと思っているというところです。個人的には、だいぶ自分の精神的なものと調和してきたと思います。調和する、というのはわたくしの場合、かならずしも病気を治す、というところにはいかなくて、そこのドアを開けることもできるし、閉めることもできる、という状態を指します。
わたくしの場合、精神的な闇の中へ降りていく作業は、ときにどうしても必要です。ときどきは、ものすごい波の中にもぐりこんでいかないと、生きていることすら忘れるので、そこはちゃんとつかまえておくために、絶対的に暗部が必要です。そんで、その段階が終わったら、ドアを開けて出てきます。そういうことが、自在にできるようになることが、真に病気と調和することだとわしは思う。
いや、まあそもそも、わし病気なのかというと、そうじゃない気がする。精神的な病というのは多数派に対して少数派という、単なる数の原理によるものが結構あると思うから、少数派だからって病気であるわけでもないと思うんだ。自分でいうのもなんだけど、あたい結構自分の中身が明と暗にものすごい幅で分離しておるけれども、その幅が自分というか、そこがあるから成り立つ自分があるわけです。その振れ幅がちょいとひとよりでかいので、なんかいろいろ大変だと思うけれども、まあそういう自分だからいいこともあるわけで、そこはもう認めるよりしょうがない。
あと最近思うこと。臆病さと繊細さは、絶対に必要です。どうあっても必要です。最初から放恣なひとがなにかを貫くことは割合に容易ですが、そうでないひとがそれでも手放せないもの、それだけがたぶん本物です。ほかの瑣末なことはどうでもよろしい。自分の情熱に水をぶっかけてもいかんし、同様に他人の情熱を非難してもいかん。
願わくば、いつも心の声を素直に聞ける感受性を維持していたいですね。これはとってもたいへんなことですけど。
あ、全然関係ないけど今後のさくぶんスケジュールについて。
今年の夏休みのお話は、できるかなあ。。できたらあげるね。まだネタがないのよ。10月のイベントもあるし、それ用の話も結構大量に書かないとならんから、もしかしたら手が回らないかもしれないけど、でもできるだけ頑張ります。書くことに関しては、どんどん負荷をかけたほうが自分にはいいみたいなんで、できるだけ頑張ります。。ネタがないという最悪の状況になったらごめんしてね。。。
あと、10月イベント用のは、たぶん3冊の予定だったはずが、4冊になるかもしれん。長いの2本、キリコ先生の短編集1本、ゲストさま有むふふふ本1冊。まあこれは筆の具合で。。あ、あとJK試験問題集1冊ね(笑)みなさんほんとに解答はお気軽に(笑)ついったーでお待ちしてます。
今年のクリスマスものはたぶんちゃんとあるよー。んで、そのあとの3年ものは、全然構想がないけど、たぶんやると思います。原稿用紙100枚のJKを書きたいよ……。。書くよ……!
こういう予定を考えてると楽しいです。あとで地獄を見るのは自分ですが、でもだいじょぶです、マスダが書き終わると云ったら終わります。さくぶんに関しては、ですよ。それ以外のことはてんでだめですけど。。なんかねえ、宣言するってやっぱり大事よ(笑)みなさんやりたいことはちゃんと云ったほうがいいです。ほんとです、まじで。。。