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毎日頭の中が先生でいっぱいです
2024/05
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 こんばんは、マスダです。
 今朝方ものすごくエロいJじゃきりのゆめをみて、とても興奮して目がさめたので、これはまっさきにここに書かねばならぬと思っていたら、なんか青桐さんもジャキリの夢をみたらしいね(笑)ともだち!

 あたいの見た夢は、なんでかしんないけど遊廊っぽいとこが舞台で、乱れた和服の先生とキリコ先生がめっっっっちゃエロいことしてた。。。興奮しすぎて、なんかもう詳しく覚えてないけど、とにかくなんかちゅっちゅしたりくんくしたり、いたしたりしてたよ。。先生がね。。でさ、途中から、それがなんでかしんないけど、読んでるマンガだってことがわかって、マンガとアニメ映像みたいなのが入り乱れてとても至福のひとときでした。。もっとすらすらマンガ読めたらいいのになあ。。なんでみんなすらすらマンガ読めんの?
 もちろん、あたい飛び起きたよ(笑)そら飛び起きるわ。そんで飛び跳ねるわ。。で、興奮して窓開けたら雪降ってた(笑)そういう朝でした。
 もうなんかくらくらするような夢だったんだけど、ねえなんで夢って録画できないの? どうしてですか? 夢はやっぱり波長の違う世界の出来事だからですか? それともあたいの脳みそが、ジャキリに侵されすぎていて、ついにそれが視覚化したのですか? ねえどうしてなのですか?
 などなど、いろんな疑問その他いっぱいありますが、とりあえず今朝は幸せでした。なんかいいことあるかなって思ったけど、まああたい毎日が今日もいい日なので、それはそれでいいや。。

 で、ついでなのであたい更に青桐さんの真似して、あっち系の話をしようと思います。どっち系って、あっちだよ。。霊とかそっちの話。けっこう真面目に続きから書くからね。興味のあるひとは読んでください。そういうものは存在しない派のひとは、読まないでください。





 実は結構そっち方面にくわしいです。。何度かブログに書こうかと思ったことがあったんだけど、こういう問題はとても個人的な理解の問題とか親和性の問題とかが大きいと思うので、感じられないひとは全然なんにも感じないと思うし、わかるひとは見えるとかそこにいるとかまでわかると思うし、なんかためらいを感じていたんだけど、もういいや。青桐さんが堂々その話をブログでしていたのを見てなにかがふっきれたマスダ甲子園です、にじゅううんさいです。

 マスダには、一般的な意味での霊感はありません。つまり、見えるとか聞こえるとかいうことはまるでありません。ありませんが、まぎれもなく霊というものはあると信じてます。確信があるから信じているんですが、たぶん人生の中で何度か、そういう存在の本質みたいなものに触れるチャンスがあると思うんですけど、マスダはなんの因果か導きか、そういうものを信じるに至ったわけです。
 というか、我々は全部霊的な存在です。これは別に信じても信じなくてもいいです。マスダはそう確信しているところがあるので、そしてそれを自分の内面だけに留めておくにはなんかもったいないものがあるので書きます。
 どちらかというと魂という表現のほうが好きです。マスダがものを書くのは、この方面の領域で勝負したいからです。そもそも、表現というのは大なり小なり精神的な行為であり、精神的な行為というものは、魂に影響をもたらすことができる場合があります。これは要は、その責任を自覚するかしないかの問題に関わってくるものだと思いますが、表現するもの、その内容、その態度、というものは全部自分に返ってきます。たとえばその表現欲求、あるいは表現態度というようなものが心から真摯なものであれば、それはいずれ自分に非常に真摯なものとして返ってきます。感想をいただくとかそういう表面的なものにかぎりません。自分の内面に、内面的な気づきとして返ってくる場合があります。誤解されることを恐れずに云えば、わたくしがものを書く動機のひとつに、この自分に返ってくるものの影響があります。それが自分の魂の肥やしになったり、新しいなにかをもたらしてくれたりするのです。だから、そういう意味でいうと、マスダの創作態度なるものは非常に利己的であるとも云えます。ところがこの利己性のかたまりみたいなものを、世に産み落としてみると、それが誰かのなにかに触れたりする場合があります。奥深くまでずどんと揺さぶることはまずないでしょうが、少なくとも、ある作品がそのひとのどこかに触れた場合、なにか感じるものがあった場合、それはそのひとの魂に触れたことになるのだと信じます。しょせん、ただの作文でたいしたことはできません。たぶんプロでも、そう大したことはできないと思う。だけども、人間が人間であることの本質が魂に存在すると信じるならば、それは五感とか肉体とかを一瞬でも凌駕して、魂と魂がぶつかる瞬間ということで、とても意義深いものであるはずです。そういうものの有効性とか、そこから目に見えないかたちで派生する有機的ななにかというのを、その力をマスダは創作におけることばの力だと信じているわけです。

 ユーレイとかの話をすると思った方には申し訳ない内容になってしまったけど、見えないものは見えないのでどうにもしようがありません。。すいません。。。でも、見えるってことは別に特別なことじゃないと思います。走るのが早いとか絵がうまいとかそういうものと同じなんじゃないんでしょうか。ひとつの天賦の才だと思います。それをどういうふうに伸ばすか、活かすか殺すかは、自分次第です。すべての才能がたぶんそうです。そして才能というのは、なにも特別な能力だけを指すのではないので、各々の個性的な固有の資質、性質は、すべて才能に直結すると思います。いろんなものを削ぎ落してほんとうの自分がどういうものであるか、自分の魂の色がほんとうはどんな色なのか、を見つけられたら、そしてそれこそが、この世界に生きている大きな意味のひとつだと、マスダは信じているわけです。
 人生の核心に近づくのに、道はいろいろあると思います。どんな道をたどっても、どうも最後は同じようなところにたどり着いている気がします。そういうものがぼんやりわかってきたので、最近とても面白いです。
 人生はままならないものですが、とても面白いです。わたくしは別の入口からユーレイとかおばけにまで広がっちゃったんですけど、それも案外面白い道の入口になるんじゃないかと思ったりします。
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