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毎日頭の中が先生でいっぱいです
2024/05
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 こんばんは、マスダです。昨日はえらくのんだくれて帰ってきました。なんか知らないおじさんにお酒とサラダおごってもらった(笑)そういうことってあるよね。。酒の勢いっていいよね(笑)そういうことはだいたい若いうちにしかやってもらえないので、いまのうちにきゃーわーありがとうございますう、とか云ってればいいのです。そういうのは一時の高揚とか気分ですから、あんまり重たく考えずにおごってもらえばいいわけですね。おごりたいという気持ちは、とりあえず善意なのだと軽く考えておくに越したことはないようです。男じゃないから男の本心はわからないんだけどさ、でもたぶん、そういうのってちょっといい気分になりたいし向こうにもいい気分になってもらいたい、とかいうことで、いいような気がする。とりあえずそれ以上深く考えなくていい気がする。考えだすといろんな問題にぶち当たってしまうからね。

 そんで、昨日のいいこと。ともだちが、近くに、まじで近くに引っ越してきた(笑)チャリンコで行ける(笑)これはうれしい。会おうと思えばいつでも会えるっていうのはいいよね。これまではお互い片道1時間以上かけないと会えなかったから、ちょこちょこ会えるようになるのはいいことですよね。そのひととはなんかちょっと通じるものがあって、全面的にではないけど、なんとなくぼんやり近いひとの枠の中に入ってる。これに気がついたの最近なんだけどね。
 で、これマスダ最近ずっと云ってるんですけど、今年は絶対なんかいいことある、根拠はないけど絶対なんかある、ってずっと云ってて、それにその子が感化されて、部屋に「絶対いいことある」って書いて貼ったそうです(笑)ばかばかしいと思うかもしれないけど、そういうのって大事なので、根拠もなくいいことあると思ってるとほんとにいいことがあります(笑)友だちが近くにきたし、おじさんにおごってもらうし、なんか変なとこからお金出てくるし、身体は順調に戻りつつあるし、仕事はあるし、そういうこまかいことをいっぱい数えてくと、こりゃあ今年はいい年だな、とか思うわけです。
 気の持ちよう、って、どうやらほんとに大事みたいよ。気持ちを整えると、身体が整ってくるみたい。

 このあいだまでのマスダさんは、たぶん不安と虚無と恐怖という三大要素の中にいろんなものを見出していたんだけど、それはそれでとても重要な要素があるんだけど、その中にいつも浸ってることが、かならずしもいいことではない、ということに、気がついて納得するまでに二年かかった。一年くらいでなんとなくわかったような気がしてきて、ここ半年くらいでうわあああっとわかるようになってきた。そういうのを、捨てるということではないですよ。それはそれで自分の大切な要素であり、必要不可欠なものであることは理解しているのだけど、自分がそういう人間なのだ、と思いこんでその中にどっぷり浸かってしまうのは、要するに自分の心の修養不足だということがわかったわけです。
 ゲーテがいみじくも云っている。わたしがこれまで生きてこられたのは、私の心の力のおかげである、と。
 世の中には、いろんな不公平があって、肉体的な優劣とか容姿の優劣とか、生まれついた環境の差とかいろんなものがあるんだけれども、少なくとも物質的にはある程度満たされている状況に生まれついて、いろんなものを理由にいつまでも自分の不幸を嘆くのは、要するに、ただの甘ったれにすぎないということ、なのです。これを認めるのはものすごくこう、おなかがうひゃあああってなるような気がするものです、最初は。でも、自分の人生は自分の責任です。親のせいにしていいのはある程度の歳までで、環境のせいにしていいのもある程度の歳までです。自分の人生は、自分の足で、歩かなくてはいけません。
 人間が物質的に豊かになるにつれて、愛情、というものがたぶんとても大きなウェイトを占める問題になってきていると思います。親の愛情の欠乏、が、社会が整ってきたからこそ、いろんな問題の根本として云われるようになってきた。それは、一種の進歩であると思います。食うや食わずを問題にしていた時代と、いまここに生きている人間とは、本質的に問題の質が異なります。だから、そういうことで悩むひとがとても多くなってきた、不安定なひともいっぱいいる、愛が足りない、自分の立っている場所がここでいいのかどうか、自分の存在がこれでいいのかどうかわからない、そういう悩みは、決してくだらないことでも、ばかげたことでも、甘ったれた悩みでもない、それは人間の根本に関わる悩みだから、真剣に悩んでいい、そして助けを求めてもいい。
 ただ、そこにいつまでもいてはいけないのだとあたいは思う。悩んだ、苦しんだ、そこから先をどうするか。いつまでも悩むか。自分は被害者だと思い続けるか。そう思い続けたら、被害者の人生しか送れなくなる。苦しいけれども、足りないものは、自分で作ってゆくしかない。信仰に似ている。人間を、ほんとうの意味で歪めてしまうものは、たぶんなにもない。なにが欠落していても、人間は本質的にちっとも歪まない。歪むのは、心が歪むからだ。歪んだ心を、叩き直さないといけない。それは苦しいことだけれど、そこでしごかれたぶん、次はもっとでかいものが来ても、負けなくなる。これはほんとうだよ。。そうして次の世界が見えたとき、自分の過去の亡骸を見て、過ぎ去りし影よと思う。

 こんなことを書けるのは、書いているのは、あたいがなにか特別なことをしたのでもなんでもなくて、ただ万人の中に潜在的に潜んでいる力を、出せただけだ。人間その気になればほんとにそうなるんだよって、云いたいだけです。昔は、それはうそだと思っていた。神が強い者と弱い者とを作って、世界はできあがっているのだと思っていた。でも強い人間と弱い人間がいるのではない。特別に打たれ強い人間だけが、勝者になれるのではない。本質的な強さは、みんな一緒だ。そしてそれを開発することは、他人に対してもっと優しくなれることを意味している。ひとの弱さがわかるからだ。自分だって、昔はそうだったとか、明日はそうなるかもしれないとか、そういうふうに思えるようになるからだ。
 最近、マスダさんは強いねえって云われるから、別にあたいが強いわけじゃないな、と思って書いてみた。マスダは、別に強くない。しごかれることの意味を、知っただけです。ほんとうにやさしいとはどういうことか、ほんとうに人間らしいとはどういうことなのか、そもそも人間はどうあるべきか、そういうことについて、ちょっとわかるようになっただけです。
 誰でも、なんでも克服できるのです。それがほんとうだと確信するようになったから、あたいは毎日楽しいです。楽しいと思いこんでるんです。いいことだらけだと思いこんでる。それだけで、ずいぶん見える景色が違います。

 最近なんでこんなことばかり書いてるのか、実はよくわかりません。もうすぐ死ぬのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どっちでもいいです。たぶんまだ死なないと思います。まだやらないといけないことがあるから、たぶん、まだ死なないと思いたい(笑)なんだろうね、たぶん、ひと区切りついたんじゃないかなあ。自我との葛藤が(笑)そんで、いろんなことを本質的に見れるようになってきたということなんだと思うよ。きっとね。ずいぶん長い道のりだったけど。
 それを、みなさんにちょっと、おすそわけの気持ちなのかもね。別にいらないかもしれないけど(笑)
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