毎日頭の中が先生でいっぱいです
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こんばんは、マスダです。今年の冬はなかなか厳しいですねえ。
今日、矯正を除いてはたぶん二十年ぶりくらいに歯医者に行きました。いや、そこまではいかないかな。なんか、左の奥歯が痛いんだけど、と思って、これはもしや虫歯か?? と思ったら、単に詰め物が取れただけだった(笑)さすがに二十年近くくっついてたらなんかかんかぼろくなるよね。よくいままで頑張った、おつかれさまでした。。
とってもいい歯医者さんだったよ。わたくし、自分が医者運がいいのは自覚がありますが、ほんとにいい歯医者さんでした。ほんとに採算とれてんの? っていうくらい時間をかけていろいろ説明してくれる。単に詰めたの取れただけなのにね。。。歯の状態とかさ、久しく歯医者に行ってません、て云ったら、いろいろやってくれました。レントゲンとかも取ってくれました。レントゲンのときって、なんかちょっと頭にずんてくるよね。。
いつも思うんだけど、病気になったり身体のどこかがおかしくなるのって、ならないに越したことはないけど、でもどっかに、いいお医者さんはかならずいるってことです。探しまくれば絶対います。これは絶対です。どっかにいます。マスダがほんとの意味で探しまくったのはカウンセラーの先生だけだけど、どっかに、そのときのそのひとにふさわしいお医者さんが必ずいる。そういうのは、会うべくして会う。というわけで、ブラックジャック先生に治してもらえるひとも、たぶんなるべくしてそうなっているのだろうと思う。傍目には先生の気まぐれととれることがあったとしても。これでとてつもなく書きたいネタがいっこあるんだけど、ちょっとまだ熟成しきれてないので、書くのはたぶん先のことになると思います。
あと、歯医者さんで待ってるあいだに、文藝春秋見てました。ようやく見たよ、年賀状書けない小学生とか、住所の書き方がわからない子がいるとかいう話。総じて、手紙を書くことがない、はがきの書き方がわからない子がいっぱいいる、というやつ。
そりゃそうじゃん? というのが第一印象でした。だからっつっていまの子みんながみんなそうだ、というふうに受け取られるとこれちょっと違う話になると思うけど、だいたいいま手紙なんて書く必要、ほとんどないもんね。年賀状も書かなくてすむしね。メール送ればいいもんね。
手紙派のマスダとしては、世の中から手紙が消えるなんてことはまずもってないと思う。ことに女子の場合。細やかな神経というのは女の天分のように思われているけど、まあそれもあながち間違いでもなくて、手紙のやりとりというのは文句なく楽しいもんだということを、たいがいの女は思春期に悟ると思うのだけどなあ。交換日記とか、手紙のやり取りとか、そういうのは昔から女子の好物であって、あたいも高校のときなんか、毎日会うともだちに毎時間お手紙書いてたりした。書きもしたし、もらいもした。小学校のときから手紙の交換ってずいぶんしていて、そういうのが実家に山ほどある。
手紙を書くのは、文句なしに楽しい。もらうのも理屈抜きに楽しい。形式なんて、あとからいくらでも学べる。肝心なのは、誰かに手紙を書くとか、なにかをあげるっていうのはたぶん人間の本質的なところに根ざしていて、楽しいってこと。そういうところに目隠しをしない、そういう道をいくつも教えてあげる、そういうのが一種の教育なんとちがうかなあ。形式なんかわからなくても、書き方がまずくても、自分を発信するとかそれについて答えが返ってくるとか、そういう人間のアナログさを、忘れずに片隅にとどめておいたら、それでいいじゃないの。内容があけおめー、でも、新春のお喜びを、でも、そんなことはどっちでもいいので、なにかのかたちで、他人の息づかいが自分のところへ伝わってくるという、要はそういう経験のひとつなんじゃないかなあ、手紙というのは。そんで人間は、そういうものを、たぶん本能的に求めている。その伝え方を知らないと、あとあと栄養不足になって、とても苦しいことになってしまう。いろんなうえで大事なのは、栄養不足の人間を作らないという、そして断じて自分が魂の欠乏した人間にはなるまいという、そういうところにたどりつくんではないでしょうか。
なんかそんなことを思った本日でした。
今日、矯正を除いてはたぶん二十年ぶりくらいに歯医者に行きました。いや、そこまではいかないかな。なんか、左の奥歯が痛いんだけど、と思って、これはもしや虫歯か?? と思ったら、単に詰め物が取れただけだった(笑)さすがに二十年近くくっついてたらなんかかんかぼろくなるよね。よくいままで頑張った、おつかれさまでした。。
とってもいい歯医者さんだったよ。わたくし、自分が医者運がいいのは自覚がありますが、ほんとにいい歯医者さんでした。ほんとに採算とれてんの? っていうくらい時間をかけていろいろ説明してくれる。単に詰めたの取れただけなのにね。。。歯の状態とかさ、久しく歯医者に行ってません、て云ったら、いろいろやってくれました。レントゲンとかも取ってくれました。レントゲンのときって、なんかちょっと頭にずんてくるよね。。
いつも思うんだけど、病気になったり身体のどこかがおかしくなるのって、ならないに越したことはないけど、でもどっかに、いいお医者さんはかならずいるってことです。探しまくれば絶対います。これは絶対です。どっかにいます。マスダがほんとの意味で探しまくったのはカウンセラーの先生だけだけど、どっかに、そのときのそのひとにふさわしいお医者さんが必ずいる。そういうのは、会うべくして会う。というわけで、ブラックジャック先生に治してもらえるひとも、たぶんなるべくしてそうなっているのだろうと思う。傍目には先生の気まぐれととれることがあったとしても。これでとてつもなく書きたいネタがいっこあるんだけど、ちょっとまだ熟成しきれてないので、書くのはたぶん先のことになると思います。
あと、歯医者さんで待ってるあいだに、文藝春秋見てました。ようやく見たよ、年賀状書けない小学生とか、住所の書き方がわからない子がいるとかいう話。総じて、手紙を書くことがない、はがきの書き方がわからない子がいっぱいいる、というやつ。
そりゃそうじゃん? というのが第一印象でした。だからっつっていまの子みんながみんなそうだ、というふうに受け取られるとこれちょっと違う話になると思うけど、だいたいいま手紙なんて書く必要、ほとんどないもんね。年賀状も書かなくてすむしね。メール送ればいいもんね。
手紙派のマスダとしては、世の中から手紙が消えるなんてことはまずもってないと思う。ことに女子の場合。細やかな神経というのは女の天分のように思われているけど、まあそれもあながち間違いでもなくて、手紙のやりとりというのは文句なく楽しいもんだということを、たいがいの女は思春期に悟ると思うのだけどなあ。交換日記とか、手紙のやり取りとか、そういうのは昔から女子の好物であって、あたいも高校のときなんか、毎日会うともだちに毎時間お手紙書いてたりした。書きもしたし、もらいもした。小学校のときから手紙の交換ってずいぶんしていて、そういうのが実家に山ほどある。
手紙を書くのは、文句なしに楽しい。もらうのも理屈抜きに楽しい。形式なんて、あとからいくらでも学べる。肝心なのは、誰かに手紙を書くとか、なにかをあげるっていうのはたぶん人間の本質的なところに根ざしていて、楽しいってこと。そういうところに目隠しをしない、そういう道をいくつも教えてあげる、そういうのが一種の教育なんとちがうかなあ。形式なんかわからなくても、書き方がまずくても、自分を発信するとかそれについて答えが返ってくるとか、そういう人間のアナログさを、忘れずに片隅にとどめておいたら、それでいいじゃないの。内容があけおめー、でも、新春のお喜びを、でも、そんなことはどっちでもいいので、なにかのかたちで、他人の息づかいが自分のところへ伝わってくるという、要はそういう経験のひとつなんじゃないかなあ、手紙というのは。そんで人間は、そういうものを、たぶん本能的に求めている。その伝え方を知らないと、あとあと栄養不足になって、とても苦しいことになってしまう。いろんなうえで大事なのは、栄養不足の人間を作らないという、そして断じて自分が魂の欠乏した人間にはなるまいという、そういうところにたどりつくんではないでしょうか。
なんかそんなことを思った本日でした。
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