毎日頭の中が先生でいっぱいです
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こんばんは、なんかもう12月なんですね。師も走る師走かあ。みなさま体調など崩されませんよう。
拍手ありがとうございます。ほんと、やる気がでます。やる気の素!ごちそうさまでした!!
さて、表題の件。
病院にいった帰りによくいく喫茶店に行く。紅茶一杯で2時間いる。550えん。
早稲田松竹にいく。チェコのアニメーション映画をみる。1300えん。
早稲田松竹は、もう上映が終わっている映画ばっかりやっています。2本立てで1300えんで映画が見られるのですが、入れ替えではないので、ふんばろうと思えば一日中でもふんばっていられます。たまに、一日いる?っていうひとをみることがあります。
今回はふるいアニメーションの短編をいくつかやってたので、童心にかえろうと思い(割合いつでもかえってるけどさ)、見に行きました。クレイアニメとか、人形劇がだいすきでした昔。いまでもすきですけど。おはなしのくにとか、よくみてました。なんであれもうやらないんだろ。ああいうのまたやってよ、N教さん。みんなのうたでも、メトロポリタン美術館とか、人形をうごかしてるのがすきでした。ハッチポッチとクインテットも、あの人形から線がみえてるのがいい。
世の中CGとかが大氾濫してますが、わたくしはそういうのはそういうので、その技術に敬意を表するんだけれども、手作業でアナログな映像もいいと思う。そっちのほうがおちついてみていられる。目が疲れないし。スピードの速いものとか、ちかちかするのとかをみていると、目が疲れるんですよね。脳ミソも疲れる。戦闘のあるものは苦手だな。
でも映画あんまりくわしくないです。大々的に上映しているのより、ちまちました映画館でやってるようなもののほうがすきな率が高いけど、あんまり見ない。映画は、見るのにエネルギーがいる。
わたくしはやっぱり文字だけの情報のほうがいいなと思う。あんまり器用な脳ミソしてないんですね。マンガも、絵も字もあるので、ちょっと時間がかかる。。絵本みたいに、1ページとか見開きに1コマだったら、理解しやすいからすごくいいんだけど……。
古い時代のアニメーションはその点、絵本的な感覚で見られるからいいです。セリフがないやつとか、すごくいいです。ピングーみたいな。
あと、結構年の割に度を越した絵本だいすき人間でもあるんですが、「かいじゅうたちのいるところ」が映画になったことに、よろこんでいいのか、かなしんでいいのか、わかりません。
絵本のかいじゅうたちが立体的にうごいてる、というのは感動をおぼえるものがあるんだけど、でもなあ。原作とそれの映画とかドラマとかアニメとかは、わけてかんがえるべきですか?モーリスセンダックのあの絵がだいすきだから、あのかいじゅうが動くのはすごくときめくんだけど、でもなあ。どうなんだろうな。
これは児童書になりますが、「飛ぶ教室」もだいすきなんだけど、あれの映画は、個人的になんかちがいました。やっぱり、なんかちがいました。時代がそもそもちがっていたし……。うーん。
二次創作、ということばにはやっぱり違和感をぬぐいきれていない身でなにをいうかという感じがしなくもないのですが、キャラクターの名前は同じなんだけど、オリジナルのひとがいたり、時代がまったく違ったり、原作との共通点がすくないものをみたとき、それはパスティーシュ……なのか、オマージュ……うーん。と思います。
原作に愛着があればあるほど、それをリメイクとか、映像化するとかに、抵抗が出てくるんですよねきっとね。BJにしてもね……アニメだととくに後半のほうとか(ちゃんと全部みてないんだけど)、OVAのキリコ先生とか(個人的にこのキリコ先生はだいすきだけど)、賛否両論あると思うけれど。
あれだなあ、解釈の方向が、自分の方向と、あってるか別かってことはでかいですよねきっと。解釈者の性質の違いというか。自分と似た質のものだとすきになる。違っていると、え、と思う。
すきになる作品の作者の性質は、自分のそれとかぶっている部分がある場合が多い、というのを知っておもろいなあと思っているんですが、そういう本質的な自分の性質レベルで共感していたものに対し、ほかの質の見方を提示されてしまうと、おや?となるんでしょうね。共感するのが難しくなってしまうというか。共感できる側面を提示されると、納得して、いいなあと思ったりする。
結局、なにがすき?っていうそのレベルの話なのか……わからんけど。
もちろん、ものをすきになるとか評論するとかは、そんな単純な話ではないと思いますが、そういうのもあったりするんじゃないかなーと、思った話。
なんの話だよ、今日は。
ひまじんです。。。
拍手ありがとうございます。ほんと、やる気がでます。やる気の素!ごちそうさまでした!!
さて、表題の件。
病院にいった帰りによくいく喫茶店に行く。紅茶一杯で2時間いる。550えん。
早稲田松竹にいく。チェコのアニメーション映画をみる。1300えん。
早稲田松竹は、もう上映が終わっている映画ばっかりやっています。2本立てで1300えんで映画が見られるのですが、入れ替えではないので、ふんばろうと思えば一日中でもふんばっていられます。たまに、一日いる?っていうひとをみることがあります。
今回はふるいアニメーションの短編をいくつかやってたので、童心にかえろうと思い(割合いつでもかえってるけどさ)、見に行きました。クレイアニメとか、人形劇がだいすきでした昔。いまでもすきですけど。おはなしのくにとか、よくみてました。なんであれもうやらないんだろ。ああいうのまたやってよ、N教さん。みんなのうたでも、メトロポリタン美術館とか、人形をうごかしてるのがすきでした。ハッチポッチとクインテットも、あの人形から線がみえてるのがいい。
世の中CGとかが大氾濫してますが、わたくしはそういうのはそういうので、その技術に敬意を表するんだけれども、手作業でアナログな映像もいいと思う。そっちのほうがおちついてみていられる。目が疲れないし。スピードの速いものとか、ちかちかするのとかをみていると、目が疲れるんですよね。脳ミソも疲れる。戦闘のあるものは苦手だな。
でも映画あんまりくわしくないです。大々的に上映しているのより、ちまちました映画館でやってるようなもののほうがすきな率が高いけど、あんまり見ない。映画は、見るのにエネルギーがいる。
わたくしはやっぱり文字だけの情報のほうがいいなと思う。あんまり器用な脳ミソしてないんですね。マンガも、絵も字もあるので、ちょっと時間がかかる。。絵本みたいに、1ページとか見開きに1コマだったら、理解しやすいからすごくいいんだけど……。
古い時代のアニメーションはその点、絵本的な感覚で見られるからいいです。セリフがないやつとか、すごくいいです。ピングーみたいな。
あと、結構年の割に度を越した絵本だいすき人間でもあるんですが、「かいじゅうたちのいるところ」が映画になったことに、よろこんでいいのか、かなしんでいいのか、わかりません。
絵本のかいじゅうたちが立体的にうごいてる、というのは感動をおぼえるものがあるんだけど、でもなあ。原作とそれの映画とかドラマとかアニメとかは、わけてかんがえるべきですか?モーリスセンダックのあの絵がだいすきだから、あのかいじゅうが動くのはすごくときめくんだけど、でもなあ。どうなんだろうな。
これは児童書になりますが、「飛ぶ教室」もだいすきなんだけど、あれの映画は、個人的になんかちがいました。やっぱり、なんかちがいました。時代がそもそもちがっていたし……。うーん。
二次創作、ということばにはやっぱり違和感をぬぐいきれていない身でなにをいうかという感じがしなくもないのですが、キャラクターの名前は同じなんだけど、オリジナルのひとがいたり、時代がまったく違ったり、原作との共通点がすくないものをみたとき、それはパスティーシュ……なのか、オマージュ……うーん。と思います。
原作に愛着があればあるほど、それをリメイクとか、映像化するとかに、抵抗が出てくるんですよねきっとね。BJにしてもね……アニメだととくに後半のほうとか(ちゃんと全部みてないんだけど)、OVAのキリコ先生とか(個人的にこのキリコ先生はだいすきだけど)、賛否両論あると思うけれど。
あれだなあ、解釈の方向が、自分の方向と、あってるか別かってことはでかいですよねきっと。解釈者の性質の違いというか。自分と似た質のものだとすきになる。違っていると、え、と思う。
すきになる作品の作者の性質は、自分のそれとかぶっている部分がある場合が多い、というのを知っておもろいなあと思っているんですが、そういう本質的な自分の性質レベルで共感していたものに対し、ほかの質の見方を提示されてしまうと、おや?となるんでしょうね。共感するのが難しくなってしまうというか。共感できる側面を提示されると、納得して、いいなあと思ったりする。
結局、なにがすき?っていうそのレベルの話なのか……わからんけど。
もちろん、ものをすきになるとか評論するとかは、そんな単純な話ではないと思いますが、そういうのもあったりするんじゃないかなーと、思った話。
なんの話だよ、今日は。
ひまじんです。。。
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