毎日頭の中が先生でいっぱいです
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こんばんは、またまるきゅーに行ってきてぐったりして元気になってきたマスダです。月1まるきゅーの会が復活しつつあります。たぶん。。
こないだちらりとものを書いてて、なんだかとても偏執的なものを書いてるなあ、ということに途中から気がついて、ときどきこういうものを書きたくなるらしいんだけれども、いったいどういうことだろう、とふと思いました。髪の毛のはなしとか、そういう類のものね。
わたくし気になると気になって仕方ないひとなので、ちっと考えたのですが、たぶんあれですね、わたくしたいへんに現実的なひと、というか、整合性とかを考えてしまうひとだから、まあどっちかっつうと普段それにがんじがらめになってるわけで、それをときどき飛び越えたくなるんだろうなと思いました。
整合性とかっていうのはあれですよ、異常性を排除したい欲求というのかなあ、こんな愛し方はないな、とか、ここまでは誇張的に書いてもいいけど、これ以上はないな、とか、そういうことを考えてしまうということ。世の中、ちょっとどこかいっちゃってるものがあふれているじゃない?それこそ、度を越した愛情のもつれとかそういうのが。それなら、どこまで「普通」で勝負できるんだろうと思っているふしはあります。世の中に「普通」があふれていたとしたら、どこまでおかしくできるんだろうということで勝負したかもしれないけれど。あまのじゃくさんなんですよねわたくしね。正常な関係とはなんであろうとか考えているわけ。どういうふうに、正常な関係とは結ばれていくべきなんだろう、そこからはみ出す部分をどう扱えばいいんだろう、とか考えている。この「正常さ」をつかむことが難しい時代に。
だもんで、そういうこと考えるのに疲れると、ちょっとおかしな方向をストレートに出したくなるみたい。でもどこかで、ストレートに表現することは負けだと思っている節がある。めんどくせえなあ。だからわたくしの書くものはめんどさいのだよきっと。異常なこと、というそれ自体が陳腐だからなあ、最近は。
まあでも、それぞれにそれぞれでしか表現できないことがあるわけで、なんというかそういうのを、素直にうまいこと両方書けるようになっていくといいなあとか、思うなあ。という、単にそういう話です。
こないだちらりとものを書いてて、なんだかとても偏執的なものを書いてるなあ、ということに途中から気がついて、ときどきこういうものを書きたくなるらしいんだけれども、いったいどういうことだろう、とふと思いました。髪の毛のはなしとか、そういう類のものね。
わたくし気になると気になって仕方ないひとなので、ちっと考えたのですが、たぶんあれですね、わたくしたいへんに現実的なひと、というか、整合性とかを考えてしまうひとだから、まあどっちかっつうと普段それにがんじがらめになってるわけで、それをときどき飛び越えたくなるんだろうなと思いました。
整合性とかっていうのはあれですよ、異常性を排除したい欲求というのかなあ、こんな愛し方はないな、とか、ここまでは誇張的に書いてもいいけど、これ以上はないな、とか、そういうことを考えてしまうということ。世の中、ちょっとどこかいっちゃってるものがあふれているじゃない?それこそ、度を越した愛情のもつれとかそういうのが。それなら、どこまで「普通」で勝負できるんだろうと思っているふしはあります。世の中に「普通」があふれていたとしたら、どこまでおかしくできるんだろうということで勝負したかもしれないけれど。あまのじゃくさんなんですよねわたくしね。正常な関係とはなんであろうとか考えているわけ。どういうふうに、正常な関係とは結ばれていくべきなんだろう、そこからはみ出す部分をどう扱えばいいんだろう、とか考えている。この「正常さ」をつかむことが難しい時代に。
だもんで、そういうこと考えるのに疲れると、ちょっとおかしな方向をストレートに出したくなるみたい。でもどこかで、ストレートに表現することは負けだと思っている節がある。めんどくせえなあ。だからわたくしの書くものはめんどさいのだよきっと。異常なこと、というそれ自体が陳腐だからなあ、最近は。
まあでも、それぞれにそれぞれでしか表現できないことがあるわけで、なんというかそういうのを、素直にうまいこと両方書けるようになっていくといいなあとか、思うなあ。という、単にそういう話です。
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