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毎日頭の中が先生でいっぱいです
2025/04
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 こんばんは。。最近筋トレしてたら腹筋するのが楽になってきてうれしいわたくしです、はい、文系人間の例にもれずうごくのだいきらいです、典型的引きこもりです。ずーっとじっとしているのも平気なのですが、筋力って大事だなと思いはじめて、腹筋背筋その他、やりはじめました。
でも身体って、ちゃんとやればやったぶん応えてくれるみたい。うれしいことこのうえなし。

拍手にて「エロいの」に一票くださった方、しかと心得ました。。そりゃあもう最大限の努力をしたく思います。
ちょうどいまネタもひとつあることですし、がんがん書きまする!ありがとうございます!
そのほかにも今日まで拍手いただいた方、ありがとうございます。

表題の件。
古本屋でミヒャエルエンデのインタビュー本を手に入れたのですが(エンデは、わたくしがおそらくもっともすきな作家のひとり。『はてしない物語』のバスチアン少年はわたくしであり、あらゆるわたくしの、子ども時代の、象徴のようなひとだった。これはそのうち別の機会に書く気がおきたら書きます)、その中でエンデが「芸術は何より治癒の課題を負っている」というひとことをのべているのですね。文学作品は作者のメッセージだといわれているけれども、それはまちがいである、そんなものは非芸術的であり、本物の芸術は教訓なんてたれない。それを読む、あるいは見ることによって、前よりもりこうになるのでなく、なにかを体験し、心が豊かになること、なにかが健康になること、そういうものだ、という。
これだ!と思いましたね。同時に、わたくしはなんだかこう、穴に入りたい気持ちになっているのですよ。つまり、なにかをこめること、なにかを含ませること、示唆すること、伝えること、そういう、なんというか啓蒙的な活動に、文学というものが、小説というものが、のみこまれてしまっているのではないかと、そしてそういう思考に慣れ親しんだ自分もまた、この話の中でなにをいいたいの?なにをつたえたいと思っているの?と自問自答し、それ全体に創作活動そのものが、とらわれているのだと気づいたものだから。それはわたくしのなかに、もう意識レベルでしっかりと植えつけられていて、なにかを、なにかを云うこと、なにかを示唆すること、なにか内容を、意味をもたせること、そういうことが、あるべきものかきの道であると、盲目的に信じてきたわけなのです。「内容」を重視すること、ということばで云ってもいい。
なにかを表現することが、すなわち啓蒙的な意味を帯びてくること。なにを意味するのかを、常に考えなくてはいられないこと。そういうパターンに、わたくしのものかきは、とらわれている。または、そのなかでだけ、もがいている。

それでわたくしはおもったわけなんです、内容が云々、ということを論じることは、すなわち差別化に通ずることにもなろう、なぜならば、そういう理屈でいけば、より内容の濃いもの、もしくはそこで伝えられているものが核心をついているものほど、「いい」というものになるわけで、さらに受け手の側に一種の解釈合戦のようなものを発生させることになる。そもそも作品とは「解釈」されるべきものか?「理解」すべきものか?作品を理解する、解釈する、という行為を、あまりにもいろんなところにあてはめていこうとする、あまりにもいろいろなものに「意味」を、もしくは「意義」を見出そうとする、そういう行為が、必然的に生むだろうもののこと。それは、一体何になるのか?

作品とは、ある程度、癒しでなければならない。なんとなくの感覚として感じていたことが、ことばとして納得できた瞬間でした。ものをかくことは、理解されること、共感を得ることへの欲求であり、欠乏の病理だ、とわたくしは(あくまでわたくしのケースだけど)思っているけれど、だからあらゆる創作は、すべて人間に向けてなされるものでなければならない。
その人間に向けてなされるものが、なにを指して、どこを目指して進むべきものだったのか、わたくしはどうもはっきりつかめていなかった。けれども、このエンデのひとことで、ああ、なるほどなあ、と思ったのですね。
妄想って、癒しの要素を多分に含むと気がついた。ジャキリっていいわ……あは……とかいう瞬間は、実は癒されているということなのね。こんな自明のことに、わたくしはいままで気がつかなかったということなのでした。だから、うまく云えないけれど、わたくしにとって書くという行為が欠乏感から生ずる病理であるということならば、その「書く」という行為には治癒の効果があるはずだ、それならば、読み手にとってもそれはひとしく治癒の効果を発するものでなければならない。

なんか、わかった。なんかわかったよ、わかったとしかいいようがないけれど、わかった。わかりにくいこと書いてすみません。個人的にはすごく納得してるのですよ。これでも。
すげえ楽になったよ。だからって質を落としていいという話ではありませんよ。それだけは、やらんように気をつけようと思います。けれども、進むべき方向が見えた、という話なのです。
なにかを感じたら、なにかこう、なにかの気分とか、なにかを味わっていただけたら、それはたのしいとかなんでもいいけど、それでいいのだ。単にそれでいいのだ。
読書とは、体験だ。そんな根本を、わたくしは、たぶんわすれていたのだと、思った。

そんなすごい一文に出会った。出会うべくして、出会った一文というか。
やっぱりエンデはすごい。そしてジャキリはすばらしい。←結局そこ
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それだけです、マスダです、こんばんは。。
前の拍手のやつは、あとでどっかにあげておきます。一応ここでおしらせしておきます。あんまおもしろくないけど。生ぬるい感じ。微妙なかんじ。
サイトのほうのも書いているので、そのうちあげますね。
こんばんは、マスダです。
今年も残りわずかとなってまいりました。
5月にサイトもちになったわけですが、本年中は大変お世話になりました。
いらしてくださった方、拍手、コメントいただいた方、メールくださった方、ほんとうにありがとうございます。。すべて涙が出るほどありがたく、むふむふしっぱなしでした。
ジャキリ人間になってよかったなあ。。
みなさまほんとうにどうもありがとうございました。

というわけで、こころから愛をこめて、本年度最後のご挨拶とさせていただきます、うす!
そして至らぬ点は多々あるかと存じますが、来年もよろしくお願いいたします。。
来年はもっと人間的にでかくなりたいなあ、書くものに深みを出せるようなひとになりたいわ。。それだけが望みといってもいいくらい。ふう、がんばりましょう!!

新年のネタをあげたいのだけど、無理かなあ。あんまり時期外れにならないうちにできたら、あげます。。
ネタをかくことに終始してはいかんな。とおもい、またきました。別にどうでもいいのだけど、ひまなだけです。ほら、いまぷーさんなんで。いやぷーさんじゃないな、休職中。
しかし、なにもせず日々をすごしていると、本読んでなんか書いて寝てなんか食って……というのがすげえいいなあと思う。このままなんもしたくねえなあと思うんだけど、それはそうもいかんのだろうな。思索(ってほどのもんでもないけど)ができてたのしいったらないのですよ。毎日。

■サーバーのメンテナンス■
18日のAM1じから7じまで、このブログみれなくなるみたいです。一応ご連絡をば。


最近、なんかわりあいさくさくものを書けていると思います。
こんなのに書いているんですが……

CAD03PFV.jpgなんかたぶんみえないと思うけど、これがなんかかくときの基本3セットで、ボールペン(100えん)と100えんのノートと電子辞書。
わたくしは、あらかじめ線が引いてあるノートにものを書けません。いえ書けないことはないのですが、すごくきんちょうしてしまうので、ノートは結構昔から無地のやつをつかいます。
文字の大きさが気分次第でおおはばにかわるので、線なんてないほうがいいのだと思います。要はあれです、ノートに対するしつけが自分でなってない。マス目に書かなきゃ!とか思うとどきどきするんですよね。できなくはないけど、きんちょうする。
で、なんかノートってすぐなくなってしまうので、安いのでいいやって思って100円になった。お外にもちあるくノートはもうすこし手がいいやつだけども。つっても無印の無地のノート。あくまで無地。ぜったいに無地。
数年前から、どこに行くにもノートが手放せなくなりました。なんか書かないといやっていう感じがある。考えたこととかひらめいたこと。最近はもっぱらジャキリばっかりめもっているけど。

ここ数日けっこう書くのが早くて、1時間もあるとそこはかとなくノートを消費します。でも1時間しか集中もたないなんだこれ。
経験値浅いので、どういうときに書くのが早いのだろうかとか、どんなシーンなら書くのがはやいのだろうかとか、いっぱしに考えたりするけどようわからん。
ずーっと何年も書いている方は、そういうのも経験測としてわかるのでしょうかね。

ひととおり全部ノートに書いたら打ち込んで、この段階でも接続詞とか修正したり加筆したりすんだけど、それを読み返して修正して印刷して読んで修正して、という段階を経て、できてるんだとくに長いの。これははなはだ非効率だと自分でも思う。だいたい、最初から打ち込めばいいじゃないとおもうけど、一度手書きをしないとしまりがわるいようであります。基本的にアナログ人間なのですね。
もっと効率のいいやり方をおしえてほしい!!

だけどいま書いとるブログネタは、いきなり記事を書く画面からいっぱつです。楽ちん。。。これだからブログネタがやめられないとまらない危険性。。。
なんぞようわからんことを書いた。流してください。
こんにちは。
昨日の夜山からかえってきたのはいいんですが、けーたいを水没させ、データが飛びました。。。
沈んだのはトイレとかじゃないです。コップの中です。

わたくしはふとん回りにものをおきまくるくせがあり(くせじゃなくてめんどくさがりとかだらしないというのではないか、というつっこみは正しいと思います)、本からノートからえんぴつからコップからマグカップからリンゴまでなんでもかんでもふとん回りにおくのですが、枕の上にクッションおいてケータイをおいてトイレいったら、クッションからばかでかいコップの水に向けてけーたいさんがダイブしました。
みごとなダイビングラインでございました。
状況を推理するとだねワトスンくん、この亡くなったけーたいは、頭をのせていたためにわずかにコップ方面に向けて傾斜のついたクッションをすべってゆき、おそらくは無駄に大きかったピンクパンサーのストラップが災いしたのだね、その勢いのまま実にみごとに、ふとん右側に隣接していた直径10センチほどのコップの水深15センチ程度のぬるま湯の中へつっこんでいったことになるじっちゃんの名にかけて。真実はいつもひとつ。
遺体をひきあげたときにはすでに電源は入らない状態で、まあしゃあねーな、と思い今朝ショップに行ってかわりのけーたいさんをかりてきました。
データ復旧するかどうかは不明だそうですが、修理してもらうことにしました。しかしでんわは水に弱いんだな。

復旧しなかった暁には、アドレス帳含めすべてのデータがとぶわけですな!すごいですな!そうなったら二度と連絡できぬひとがいっぱいでてくるけど、それはたぶんいらないということなんだよな。
少々こころの整理と人間関係の整理もしなはれよ、ということかもしれないかもしれない、と思ったりもした。
いらん関係といる関係を、みきわめるとかそういうことも大事ねこれきっと。

というわけで、すみませんがわたくしのけーたいの番号とかアドレスとかご存じのみなさま、お手数でなければけーたいのメアドにれんらくしてくださるとうれしいです、電話番号入れてメールをくださるとすげえうれしい。
「このばかやろう!」とか「しんでこい!」とか「もうれんらくしないでください」とかSなメッセージがついてるとうれしいんだよ。。もちろんシカトこいていただいても可!
いまかりてるケータイはアドレス帳がからです……すげえ。。

ものすげく近しいひとの電話番号もメアドもおぼえてなくて、こういう依存はよくないと思った。紙ベースのアドレス帳をつくろうと思った。
なんかあったときいちばん強いのはアナログ。思い知らされました。。。
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