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毎日頭の中が先生でいっぱいです
2025/04
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こんばんは、寒いですね。。でも暖房器具は使わない!マスダです。。

ついったーで、被災してないのに計画停電なんていや、と呟いた方がいるとかで、友だちが怒り心頭の叫びをブログに載せてました。
で、ちょっと考えてしまった。その呟いた方の云いぶんとか、いろいろ。

確かに、節電や停電は、我慢をしなければならないことなわけですから、そりゃまあ超やりたいとか楽しいとか、そういう気分のいいことではないでしょう。だから、本音として、停電やだなとか、節電やだとか思うことは、必ずしも悪いとは云い切れないよな、と思います。たぶん、どんな考えも思いも、それ自体を否定できるものはきっとひとつもない。

じゃあなにが問題かというと、単にわがままめ!発言を慎め!と云うのは簡単なんだけど、なんていうのかなあ、そういう瞬間的に思ってしまう本心というものを、そのままむき出しに表現してしまって、そのあとの思考というものが抜けてるというのが問題とあたいは思うわけで。

ちょっと論点がずれるかわかりませんが、人間生きてりゃ誰かに蹴飛ばされることもあり、逆に助けられることもあり、いろいろあるわけで、人間として生きている以上、無関係の関係であっても他者というのは無視できない存在で、他者を思うというのが人間の精神の根源をなすもんだと思うから、なにかあったときに全体の利益をとるとか、自分の本心は棚にあげとか、そういうのが建前の核みたいなもの、とあたいは思っているわけです。これが自分なりの本音の扱い方っていうか、本音の先にある思考というやつで、だから節電もするし停電きたら協力するぞこら、とか思えるわけね。

話が長くなったけど、だから本心の扱い方というか、ぽっと思ったこととか、湧き出た感情に対して、どう考えるか、どうつきあうか、人間として生きてるうちは、問われるのはそれであって、本心そのものでは決してない。なにを思ってもいいけれど、思ったことに向きあう責任みたいなものが、人間にはあるのだとわたくしは思うの。

そんなことを考えました。
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