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毎日頭の中が先生でいっぱいです
2025/04
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 こんばんは、5日ぶり??ですマスダです。。
ちょいと、葬儀があるのでばたばたします。これから帰らなくちゃなんだけど、一応弔辞とかよまなあかんので、いろいろばたばた。。
もうねえ、ほんとにお世話になった方がなくなったんだけど、わたくし、基本的に誰かが死んだとき、どういう気持ちになるかっていわれてもよくわかんなくって、だってひとはいずれ死ぬので、それについて悲しむというのは生きている人間の感情でしかなくて、死んだひとがどう思うかはわからないじゃない?そういうときに泣くのは、そのひとを失ってしまった状況、を悲しんでいるのであって、なんだかそこらへんにちらちらと、エゴが見え隠れするような気がするのね。昔から、よくわからないのよ、そういうのが。肉親を亡くして悲しがっているひとを見ると、それは理解できるのだけど、なんていうのか、やっぱり、心から感情移入は出来かねるのね。想像をすることはできるし、同調することも、できるのだけど。
だから弔辞なんてなにをかいたらいいのかわからないんだけど、とりあえず、一応いろいろ分析作業をして、小説を書くときの気持ちで書いてみた。流れとか構成とかも、なんか無駄に考えてしまった。そうするともういろんなことが客観的に見えてきて、すごく楽ではありました。そうしていろいろのことが自分の手を離れてひとつの物語みたいにして独り歩きしていくんだけど、わたくしはそういう自分の物の見方とか、考え方が、最近割と結構好き。
悲しめ、と云われればそうするふりをすることは簡単なんだけど、それはわたくしのいま持っている感情ではないので、結局自分ができることは、あくまでも冷静に、そのひとのひととなりを、そのひとと自分や周りとの関係を、考え抜くことにある、と思った。そうしてなにがそのひとの唯一性だったかを、とことん考えることにあって、悲しんだりするほうは、もっと感情豊かなひとにおまかせすることとして。とことん、考えること。結局自分は、いまのところそれしかできないみたい。
そうして、わたくしにとってはたぶん、とことん考え抜ける対象が、愛する対象であるのだと思う。たぶんね。

そんなこんなで、クリスマスものもせっぱつまってるこの時期ですが、そっちは意地でも終わらせますよ。ようやく終わりが見えてきたわよう……この時期で。。。
今回の落とし所、またも思ってたことと全然違う方向にいったけれど、まあいいでしょう。一応、いろんなことを考えながら書いてます。そんな感じです。。

今日まで拍手いただいた方どうもありがとうございます。。うわ、連打とかいただいてますがよろしいのでしょうか。。。わたくしなにがなんでもクリスマスにクリスマスものを完成させたく思います!
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