毎日頭の中が先生でいっぱいです
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月日がたつのが早すぎて……こんばんはマスダです。。なんか一週間とかあっというまですね……こまったことだわよ。
昨日の夜、またまたえちゃごっこ(ごっこ?)しました。なかれさんがブログにまとめをあげてくださってますが、あれでほとんど昨日やったこと全部です。まじです。。。ずーっと描いては消し描いては消ししながらいつの間にか話が出来上がってました(笑)まあ、そんなものだよね……!
というわけで、いっつもあんなことばっかりやってるので、よければみなさん遊びにきてね~v
んで、全然関係ないけど、今日なんか仕事帰りにちゃりんここいでたらお祭りやってたんで、ちょっとのぞいてきた。。盆踊りやってました。しかし、ああいうのをやっているのを見ていると、いつも死ぬときのことを考えるんだけど、つまりなにかが燃えたぎってるのを見る瞬間に、まずもってそれが止まる瞬間のことを考えるんだけれども、生の生々しい躍動感は、死の停止への精一杯の反逆っていうか、そういうふうに見えるんだけど、でも最近あんまり死ぬってことにマイナスのイメージがないから、そういうの見ながら自分の生死観の変化とかについて考えてました(笑)
個人的に、死ぬと無になるっていうのはまずないと思う。あと、地獄に行くってものまずないと思う。昔からぼんやり思ってることがあって、世界は人間には計り知れないくらいの長いスパンで続いていて、生命も続いていて、たとえば先天的に才能のあるひとは、ずっと昔、いま生まれてくる前からそれをやり続けてるからすぐに能力を発揮するんで、頑張ってもできないひとはたぶんそれについての先天的な経験が不足してるから、うまいこといかないんではないかと。そういうふうに思うと、いろんな不平等に思えることがとてもとてもすっきりするし、たぶん不平等ではないだろうという結論に達する。
あと、世の中にはいろんなタイプのひとがいるけど、明らかに動物の方にちかいひとと、なにかこの世のものとも思われないほど崇高なものにちかいひととがいるけど、その差もたぶん、経験の差というか、発達の差というか、たった一回こっきりの人生じゃ測りしれないくらいの経験の差というか、そういうものが積み重なって生まれてくる差なんじゃなかろうか。
そういうことを大学くらいのときに気がついて、なんかいろいろ納得したっていう経緯があるんだけど、これ、間違ってないと思うんだな(笑)たぶん間違ってない気がする。なんかすごくオカルト的な話をするようだけど、人間以外のとても高度な存在というのが、この世の中にはきっとある。そんで、そのおおもとには、全部を統制しているなにかとんでもなくでかいものがある。ものっていうか、気配っていうか、うん、うまくいえないんだけど、とにかくでかいものが。
そういうことを考えていって、んでふと納得したら、人生とても楽というか、楽しくなるなと思う。だって、たぶんまた次があるなあって思えるもんね。要するに、いまの人生が楽になるとか面白く思えるとかそういうふうになるなら、人間はどんな神話を信じてもいいし、どんな宗教を信じてもいいのだと思う。ほんとはそういうもんなんじゃないかな、神話とかいうものは。。でも、理性的にならないといけないとは思うよ。金ばっかかかるような宗教とかなにかがおかしいと思うし。そもそも宗教心というのは、集団性をともなわないものじゃないかとも思うし。信仰なんて、もっとそうだと思う。
お盆なのでそういうことを書きますが、わたくしにとって信仰とは、どこかの神さま仏さまを拝むことじゃなくて、自分への責任というところに結局帰ってゆくわけです。せっかく生まれてきた、たぶん、生かされてきた、そういう自分だけじゃないなにか大きなものの中を流れている人生だから、それをぶちこわしにしない責任、というのがとてもとても大きいような気がする。自分が生まれてきたということは、自分の精神、肉体、魂、そういうもの全部を、大事にして生ききる義務があるってことだと思うのね。自分のことが好きか嫌いかに関係なく、そうする義務があるんだと最近思った。で、あたい肉体をとてもないがしろにしていることに気がついて、このごろ運動とかいろいろ、肉体にも気を遣おうと思ってみたりしてます。自分のことが好きか嫌いか、は、たぶん究極関係ない気がする。。だってこの世のすべてに流れている愛というのは、誰もそこから飛びだせないくらい、とんでもなくでかいんだもの。そこに身をゆだねちゃえ、というのは、これもまたひとつとても楽になる考え(笑)
ここまで読んでくださった方がいるかどうかわからないけど、もしいらしたら、ふうん、くらいに思ってやってください(笑)あたいが思うのは、ひとりひとり、そのひとなりの神話を、宗教を、考えていったらいいのではないでしょうか。ということです。それが正しいか間違っているかは、あまり気にせずに。とかく神話だの宗教だのってのはあやしげなにおいをかもしだしているものが多いけれども、人間、それがないと生きられないとわたくしは思うんです。観念的に過ぎますかね笑 でもそうだと思うんだよなあ……。。。神さまや死をどう考えるか、とか、どう関わるか、とか、そういうことはひとりひとり違っていいんだと思うんだよなあ……。
昨日の夜、またまたえちゃごっこ(ごっこ?)しました。なかれさんがブログにまとめをあげてくださってますが、あれでほとんど昨日やったこと全部です。まじです。。。ずーっと描いては消し描いては消ししながらいつの間にか話が出来上がってました(笑)まあ、そんなものだよね……!
というわけで、いっつもあんなことばっかりやってるので、よければみなさん遊びにきてね~v
んで、全然関係ないけど、今日なんか仕事帰りにちゃりんここいでたらお祭りやってたんで、ちょっとのぞいてきた。。盆踊りやってました。しかし、ああいうのをやっているのを見ていると、いつも死ぬときのことを考えるんだけど、つまりなにかが燃えたぎってるのを見る瞬間に、まずもってそれが止まる瞬間のことを考えるんだけれども、生の生々しい躍動感は、死の停止への精一杯の反逆っていうか、そういうふうに見えるんだけど、でも最近あんまり死ぬってことにマイナスのイメージがないから、そういうの見ながら自分の生死観の変化とかについて考えてました(笑)
個人的に、死ぬと無になるっていうのはまずないと思う。あと、地獄に行くってものまずないと思う。昔からぼんやり思ってることがあって、世界は人間には計り知れないくらいの長いスパンで続いていて、生命も続いていて、たとえば先天的に才能のあるひとは、ずっと昔、いま生まれてくる前からそれをやり続けてるからすぐに能力を発揮するんで、頑張ってもできないひとはたぶんそれについての先天的な経験が不足してるから、うまいこといかないんではないかと。そういうふうに思うと、いろんな不平等に思えることがとてもとてもすっきりするし、たぶん不平等ではないだろうという結論に達する。
あと、世の中にはいろんなタイプのひとがいるけど、明らかに動物の方にちかいひとと、なにかこの世のものとも思われないほど崇高なものにちかいひととがいるけど、その差もたぶん、経験の差というか、発達の差というか、たった一回こっきりの人生じゃ測りしれないくらいの経験の差というか、そういうものが積み重なって生まれてくる差なんじゃなかろうか。
そういうことを大学くらいのときに気がついて、なんかいろいろ納得したっていう経緯があるんだけど、これ、間違ってないと思うんだな(笑)たぶん間違ってない気がする。なんかすごくオカルト的な話をするようだけど、人間以外のとても高度な存在というのが、この世の中にはきっとある。そんで、そのおおもとには、全部を統制しているなにかとんでもなくでかいものがある。ものっていうか、気配っていうか、うん、うまくいえないんだけど、とにかくでかいものが。
そういうことを考えていって、んでふと納得したら、人生とても楽というか、楽しくなるなと思う。だって、たぶんまた次があるなあって思えるもんね。要するに、いまの人生が楽になるとか面白く思えるとかそういうふうになるなら、人間はどんな神話を信じてもいいし、どんな宗教を信じてもいいのだと思う。ほんとはそういうもんなんじゃないかな、神話とかいうものは。。でも、理性的にならないといけないとは思うよ。金ばっかかかるような宗教とかなにかがおかしいと思うし。そもそも宗教心というのは、集団性をともなわないものじゃないかとも思うし。信仰なんて、もっとそうだと思う。
お盆なのでそういうことを書きますが、わたくしにとって信仰とは、どこかの神さま仏さまを拝むことじゃなくて、自分への責任というところに結局帰ってゆくわけです。せっかく生まれてきた、たぶん、生かされてきた、そういう自分だけじゃないなにか大きなものの中を流れている人生だから、それをぶちこわしにしない責任、というのがとてもとても大きいような気がする。自分が生まれてきたということは、自分の精神、肉体、魂、そういうもの全部を、大事にして生ききる義務があるってことだと思うのね。自分のことが好きか嫌いかに関係なく、そうする義務があるんだと最近思った。で、あたい肉体をとてもないがしろにしていることに気がついて、このごろ運動とかいろいろ、肉体にも気を遣おうと思ってみたりしてます。自分のことが好きか嫌いか、は、たぶん究極関係ない気がする。。だってこの世のすべてに流れている愛というのは、誰もそこから飛びだせないくらい、とんでもなくでかいんだもの。そこに身をゆだねちゃえ、というのは、これもまたひとつとても楽になる考え(笑)
ここまで読んでくださった方がいるかどうかわからないけど、もしいらしたら、ふうん、くらいに思ってやってください(笑)あたいが思うのは、ひとりひとり、そのひとなりの神話を、宗教を、考えていったらいいのではないでしょうか。ということです。それが正しいか間違っているかは、あまり気にせずに。とかく神話だの宗教だのってのはあやしげなにおいをかもしだしているものが多いけれども、人間、それがないと生きられないとわたくしは思うんです。観念的に過ぎますかね笑 でもそうだと思うんだよなあ……。。。神さまや死をどう考えるか、とか、どう関わるか、とか、そういうことはひとりひとり違っていいんだと思うんだよなあ……。
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