毎日頭の中が先生でいっぱいです
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こんばんは。って毎回書いてますが、読まれる方はいろんな時間に読むわけですよね。でもこれ、なんとなくくせなので、お許しください。いまさらだけど。。
表題の件ですが、契約してるサーバでFTPSが使えるようになりました。FTPだと昨今おっかないですから、対応していただいてうれしい限り。
ご存じない方のために書いておくと、FTPってサイトのアップのときにつかうもので、ファイル転送の通信方法のことなんですけれど、ちかごろ大流行のウィルスは、感染するとこのFTPのパスワードをひっこぬいて悪用してしまう困ったさんで、勝手にサーバのファイルにアクセスしてウィルス感染プログラム埋めちゃうもんね、なんでか知らないけどそうしてるんだもんね、というおっかないこ。極々小さいながらもサイトをもっている人間としては、昨年流行したGENOあたりから戦々恐々の日々です。
わたくしのPCが感染する→FTPのパスワードをひっこぬかれるかも→サイトにウィルス感染プログラムを埋められちゃうかも→見た方が感染しちゃうかも
という悪魔的プロセスにより、被害者だと思ったら同時に加害者にもなるわけで、これはこわい。
んで、前置きがずいぶん長くなりましたが、このFTPがめでたく暗号化対応し、これでいくらかパスワードが盗まれにくくなったかなと思って、ひとまず安心しているわけなのです。お金払っているだけのことはあった。。さっそく設定しましたよ。
こんなまさしく世界の果てのようなサイトではありますが、来ていただいてる方がいらっしゃるのはありがたいことで、だからこそサイトをもつなりの防衛知識というのは必要だと思うのですね。ネットって便利だけれど、基本的に過信は厳禁というか、むしろ過剰防衛するくらいの感覚のほうがちょうどいいくらいだと思うから、ちょっとくらいならお金払ってでも安全面は確保できるならしたいなと思うわけです。パッチはすかさずあてたいし、ウィルス対策は万全にしていたいと思うわけです。回りまわって自分のためにもなりますしね。感染すんのやだし。
でもするときはするのでしょうけど。こればっかりはまあ、来るときは来る式でしょうがないとは思いますが、予防できるならしたいなあと思うおとめごころ。
そういえばこないだまでわたくしのなかに居座ってた文字を書けの神様もしくはジャキリの神様が数日前いなくなって、まったくなんも書けない普通のおんなのこにもどってたわけなんですが、今日の夕方あたりに一瞬たぶんおんなじジャキリの神様がわたくしの身体を通り過ぎて行きました。
いい機会なので、インスピレーションのことについて。長くなるのでたたみます。
表題の件ですが、契約してるサーバでFTPSが使えるようになりました。FTPだと昨今おっかないですから、対応していただいてうれしい限り。
ご存じない方のために書いておくと、FTPってサイトのアップのときにつかうもので、ファイル転送の通信方法のことなんですけれど、ちかごろ大流行のウィルスは、感染するとこのFTPのパスワードをひっこぬいて悪用してしまう困ったさんで、勝手にサーバのファイルにアクセスしてウィルス感染プログラム埋めちゃうもんね、なんでか知らないけどそうしてるんだもんね、というおっかないこ。極々小さいながらもサイトをもっている人間としては、昨年流行したGENOあたりから戦々恐々の日々です。
わたくしのPCが感染する→FTPのパスワードをひっこぬかれるかも→サイトにウィルス感染プログラムを埋められちゃうかも→見た方が感染しちゃうかも
という悪魔的プロセスにより、被害者だと思ったら同時に加害者にもなるわけで、これはこわい。
んで、前置きがずいぶん長くなりましたが、このFTPがめでたく暗号化対応し、これでいくらかパスワードが盗まれにくくなったかなと思って、ひとまず安心しているわけなのです。お金払っているだけのことはあった。。さっそく設定しましたよ。
こんなまさしく世界の果てのようなサイトではありますが、来ていただいてる方がいらっしゃるのはありがたいことで、だからこそサイトをもつなりの防衛知識というのは必要だと思うのですね。ネットって便利だけれど、基本的に過信は厳禁というか、むしろ過剰防衛するくらいの感覚のほうがちょうどいいくらいだと思うから、ちょっとくらいならお金払ってでも安全面は確保できるならしたいなと思うわけです。パッチはすかさずあてたいし、ウィルス対策は万全にしていたいと思うわけです。回りまわって自分のためにもなりますしね。感染すんのやだし。
でもするときはするのでしょうけど。こればっかりはまあ、来るときは来る式でしょうがないとは思いますが、予防できるならしたいなあと思うおとめごころ。
そういえばこないだまでわたくしのなかに居座ってた文字を書けの神様もしくはジャキリの神様が数日前いなくなって、まったくなんも書けない普通のおんなのこにもどってたわけなんですが、今日の夕方あたりに一瞬たぶんおんなじジャキリの神様がわたくしの身体を通り過ぎて行きました。
いい機会なので、インスピレーションのことについて。長くなるのでたたみます。
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こんばんは、さむいですねえ。。
きのくにやしょてんで、こんな光景に出合いました。。。
先生だよ先生だよ!店先で興奮しました。。はひはひしました。
まあ、これもってるけど。。
先生ほんと、いいこと云うもんなあ……まったくもって。
個人的に、先生はパイプをくわえているのが一番好きです。最近はパイプ党のひとってあんまりみませんが、わたくしは好きです。すくなくとも、紙巻よりは格段に好きです。ホームズ様の愛用品なので、ちょっとお勉強したことがあります。先生がいっつもくわえてるのは、ブルカップタイプじゃないかと思うんだけど、どうだろう。個人的には、チムニーとかプリンスをくわえる先生もいいと思うんだ。全部パイプの形の種類ですが。
なんかパイプは素材とかによっていろいろちがいがあって、すごい奥深い世界のようです。堂々たるひとつの趣味であり、金のかかる道楽になりうる。
煙草って、ちゃんと密封してとっておく必要があるみたいですよ。ペルシャスリッパのなかに煙草をつっこんでおくなんて、ホームズ様はほんとにどういう方なんだろう。筋金入りの愛煙家がなせる技なのかな。
先生は、無造作にポケットにパイプをつっこんでいる希望。ポケットを逆さにすると、パイプと煙草入れと、煙草やらなにやらのくずとか小銭がぱらぱら出てくるっていうのがいいなあと思うのだけど、どうだろう。
先生は、パイプだろうが葉巻だろうが紙巻だろうが嗅ぎ煙草だろうがとにかくなんだっていい的に煙草中毒で、飛行機や新幹線のなかではしょっちゅう嗅ぎ煙草をひこひこ鼻からすっているといいと思うのだけど、これもあまり賛同していただけそうにない。ぱっと見、あやしいですものね、吸引してる姿が。一度新幹線でとなりの席の外国の方が嗅ぎ煙草をやっているのを見たことがありますが、なかなかおつなものでしたよ。日本では、あんまりやるひとがいないみたいですけれど。
原作でも、パイプ葉巻紙巻吸っているし、嗅ぎ煙草買ってるシーンもありましたので、あながち根拠のない妄想でもないもん、と思っているのですが。
まあとにかく、先生の唯一の道楽がパイプであり煙草であるといいなあ、というおとめごころであります。ソファの上でぷかぷかパイプを吸ってる先生なんて、すてきではありませんか。
風邪のときも吸おうとして、ピノコちゃんとかキリコ先生に、いけません!とか云われてる先生もいいじゃない。で、隠れてこっそり吸っちゃうくらい愛煙家な先生でも、いいじゃありませんか。
先生と煙草についてはそれだけでなにか書けてしまうくらい好きなので、これくらいで。
現実問題、そんな愛煙家がいたら、個人的にはそばによりたくありませんが……
きのくにやしょてんで、こんな光景に出合いました。。。
まあ、これもってるけど。。
先生ほんと、いいこと云うもんなあ……まったくもって。
個人的に、先生はパイプをくわえているのが一番好きです。最近はパイプ党のひとってあんまりみませんが、わたくしは好きです。すくなくとも、紙巻よりは格段に好きです。ホームズ様の愛用品なので、ちょっとお勉強したことがあります。先生がいっつもくわえてるのは、ブルカップタイプじゃないかと思うんだけど、どうだろう。個人的には、チムニーとかプリンスをくわえる先生もいいと思うんだ。全部パイプの形の種類ですが。
なんかパイプは素材とかによっていろいろちがいがあって、すごい奥深い世界のようです。堂々たるひとつの趣味であり、金のかかる道楽になりうる。
煙草って、ちゃんと密封してとっておく必要があるみたいですよ。ペルシャスリッパのなかに煙草をつっこんでおくなんて、ホームズ様はほんとにどういう方なんだろう。筋金入りの愛煙家がなせる技なのかな。
先生は、無造作にポケットにパイプをつっこんでいる希望。ポケットを逆さにすると、パイプと煙草入れと、煙草やらなにやらのくずとか小銭がぱらぱら出てくるっていうのがいいなあと思うのだけど、どうだろう。
先生は、パイプだろうが葉巻だろうが紙巻だろうが嗅ぎ煙草だろうがとにかくなんだっていい的に煙草中毒で、飛行機や新幹線のなかではしょっちゅう嗅ぎ煙草をひこひこ鼻からすっているといいと思うのだけど、これもあまり賛同していただけそうにない。ぱっと見、あやしいですものね、吸引してる姿が。一度新幹線でとなりの席の外国の方が嗅ぎ煙草をやっているのを見たことがありますが、なかなかおつなものでしたよ。日本では、あんまりやるひとがいないみたいですけれど。
原作でも、パイプ葉巻紙巻吸っているし、嗅ぎ煙草買ってるシーンもありましたので、あながち根拠のない妄想でもないもん、と思っているのですが。
まあとにかく、先生の唯一の道楽がパイプであり煙草であるといいなあ、というおとめごころであります。ソファの上でぷかぷかパイプを吸ってる先生なんて、すてきではありませんか。
風邪のときも吸おうとして、ピノコちゃんとかキリコ先生に、いけません!とか云われてる先生もいいじゃない。で、隠れてこっそり吸っちゃうくらい愛煙家な先生でも、いいじゃありませんか。
先生と煙草についてはそれだけでなにか書けてしまうくらい好きなので、これくらいで。
現実問題、そんな愛煙家がいたら、個人的にはそばによりたくありませんが……
こんばんは、東京は雪が積もってました。ぜんぜんたいした量じゃないのにあたふたすんな!と北国の人間としては喝を入れたくなるけど、そういうわけにもいかんだろうな、といつも思います。
表題の件ですが、先生の声がいきなり聞こえてきた場合いったいどうしたらいいのかと思ってしまうのですが、どうしたらいいでしょう。
吹き替えでポワロを見ていたら(しかも夜中に)いきなり先生の声がしてびっくり仰天したんですけれども、吹き替にどうも先生の声のひとがいらっしゃるらしい。「満潮に乗って」を見てたんですけどもね、ええ、犯人が先生の声でした。
どっかできいたなあ→あれ、先生じゃね?→うわあどうしようちょっと目を閉じてきいてみようかな→うわあ先生だなどうしよう→先生が愛してるとか云ってるよ!音立てて先生がちゅっちゅしているよ!→すっげえ悪な先生なんだけどどうしよう……
というあんばいで、ポワロどころではないわけですよ……だから、これは字幕で見よう、ということで字幕で見ました。BIKKURISHITA!
こういう事態になってしまってはいささかこまるのですが。破壊的にすぎます。先生の声でちゅっちゅとか愛の告白とか慟哭とかは。。
ポワロを吹き替えで見る理由は、ポワロの声のひとがすごいからで、なんていうかもうとにかくポワロふうに云うならば、ああ!ボン!と納得する声をしていらっしゃるので、見ていて楽しいのですね。基本は字幕派なのですが。
ああーびっくりした。でも、正直に云っておいしかったです。ごちそうさまでした。
なんで声優さんの雑誌とかがあるんだろうと思ってたのですが、こういうこともあるのだなあ、と思ったわけです。声による妄想。声による世界の広がり。なんだかとめどないことだなあ、萌えなる世界。びっくりしてしまうよほんとうに。そこに順当に順応していってる自分にもちょっとびっくりするけれど。
オタクらしいことをもうひとつ。
デスクトップを先生だらけにしてみた。
でもしてみたあとで、毎度デスクトップ画面を見るたびに笑っていたのでは話にならないときがついて、やめました。いちばんいいのは真ん中下の先生だなあ。でもほんとに面白いほど笑ってしまうので(多分に照れてるせいね)、こんなことでは心臓がもたないだろうと思い、普通の単色の画面に戻しました。
いつかふぁいやふぉっくすのBJテーマをつくるのが夢です。夢だけはいっぱいあります。だれかぼたんとかつくってください。
ふぁいやふぉっくすのテーマのつくりかたは下記のページとかに書いているので、誰か本気でつくってほしい。↓なんか結構親切だなあと思う。オープンソースってすばらしい。
https://developer.mozilla.org/ja/Creating_a_Skin_for_Firefox/Getting_Started
余談ですが上のデスクトップにしてみて思ったんだけれど、逆にキリコ先生だけのデスクトップにするには、もうすこし努力が必要だなと思った。キリコ先生だけって難しそうだから。あと、ジャキリデスクトップってのはもうちょっとむずかしそう。
だんだん自分の気持ち悪さがたのしくなってきました。あっはっは。
今日まで拍手ぱちぱちいただいたかたありがとうございます。。うれしいです。
表題の件ですが、先生の声がいきなり聞こえてきた場合いったいどうしたらいいのかと思ってしまうのですが、どうしたらいいでしょう。
吹き替えでポワロを見ていたら(しかも夜中に)いきなり先生の声がしてびっくり仰天したんですけれども、吹き替にどうも先生の声のひとがいらっしゃるらしい。「満潮に乗って」を見てたんですけどもね、ええ、犯人が先生の声でした。
どっかできいたなあ→あれ、先生じゃね?→うわあどうしようちょっと目を閉じてきいてみようかな→うわあ先生だなどうしよう→先生が愛してるとか云ってるよ!音立てて先生がちゅっちゅしているよ!→すっげえ悪な先生なんだけどどうしよう……
というあんばいで、ポワロどころではないわけですよ……だから、これは字幕で見よう、ということで字幕で見ました。BIKKURISHITA!
こういう事態になってしまってはいささかこまるのですが。破壊的にすぎます。先生の声でちゅっちゅとか愛の告白とか慟哭とかは。。
ポワロを吹き替えで見る理由は、ポワロの声のひとがすごいからで、なんていうかもうとにかくポワロふうに云うならば、ああ!ボン!と納得する声をしていらっしゃるので、見ていて楽しいのですね。基本は字幕派なのですが。
ああーびっくりした。でも、正直に云っておいしかったです。ごちそうさまでした。
なんで声優さんの雑誌とかがあるんだろうと思ってたのですが、こういうこともあるのだなあ、と思ったわけです。声による妄想。声による世界の広がり。なんだかとめどないことだなあ、萌えなる世界。びっくりしてしまうよほんとうに。そこに順当に順応していってる自分にもちょっとびっくりするけれど。
オタクらしいことをもうひとつ。
でもしてみたあとで、毎度デスクトップ画面を見るたびに笑っていたのでは話にならないときがついて、やめました。いちばんいいのは真ん中下の先生だなあ。でもほんとに面白いほど笑ってしまうので(多分に照れてるせいね)、こんなことでは心臓がもたないだろうと思い、普通の単色の画面に戻しました。
いつかふぁいやふぉっくすのBJテーマをつくるのが夢です。夢だけはいっぱいあります。だれかぼたんとかつくってください。
ふぁいやふぉっくすのテーマのつくりかたは下記のページとかに書いているので、誰か本気でつくってほしい。↓なんか結構親切だなあと思う。オープンソースってすばらしい。
https://developer.mozilla.org/ja/Creating_a_Skin_for_Firefox/Getting_Started
余談ですが上のデスクトップにしてみて思ったんだけれど、逆にキリコ先生だけのデスクトップにするには、もうすこし努力が必要だなと思った。キリコ先生だけって難しそうだから。あと、ジャキリデスクトップってのはもうちょっとむずかしそう。
だんだん自分の気持ち悪さがたのしくなってきました。あっはっは。
今日まで拍手ぱちぱちいただいたかたありがとうございます。。うれしいです。
こんばんは。。最近筋トレしてたら腹筋するのが楽になってきてうれしいわたくしです、はい、文系人間の例にもれずうごくのだいきらいです、典型的引きこもりです。ずーっとじっとしているのも平気なのですが、筋力って大事だなと思いはじめて、腹筋背筋その他、やりはじめました。
でも身体って、ちゃんとやればやったぶん応えてくれるみたい。うれしいことこのうえなし。
拍手にて「エロいの」に一票くださった方、しかと心得ました。。そりゃあもう最大限の努力をしたく思います。
ちょうどいまネタもひとつあることですし、がんがん書きまする!ありがとうございます!
そのほかにも今日まで拍手いただいた方、ありがとうございます。
表題の件。
古本屋でミヒャエルエンデのインタビュー本を手に入れたのですが(エンデは、わたくしがおそらくもっともすきな作家のひとり。『はてしない物語』のバスチアン少年はわたくしであり、あらゆるわたくしの、子ども時代の、象徴のようなひとだった。これはそのうち別の機会に書く気がおきたら書きます)、その中でエンデが「芸術は何より治癒の課題を負っている」というひとことをのべているのですね。文学作品は作者のメッセージだといわれているけれども、それはまちがいである、そんなものは非芸術的であり、本物の芸術は教訓なんてたれない。それを読む、あるいは見ることによって、前よりもりこうになるのでなく、なにかを体験し、心が豊かになること、なにかが健康になること、そういうものだ、という。
これだ!と思いましたね。同時に、わたくしはなんだかこう、穴に入りたい気持ちになっているのですよ。つまり、なにかをこめること、なにかを含ませること、示唆すること、伝えること、そういう、なんというか啓蒙的な活動に、文学というものが、小説というものが、のみこまれてしまっているのではないかと、そしてそういう思考に慣れ親しんだ自分もまた、この話の中でなにをいいたいの?なにをつたえたいと思っているの?と自問自答し、それ全体に創作活動そのものが、とらわれているのだと気づいたものだから。それはわたくしのなかに、もう意識レベルでしっかりと植えつけられていて、なにかを、なにかを云うこと、なにかを示唆すること、なにか内容を、意味をもたせること、そういうことが、あるべきものかきの道であると、盲目的に信じてきたわけなのです。「内容」を重視すること、ということばで云ってもいい。
なにかを表現することが、すなわち啓蒙的な意味を帯びてくること。なにを意味するのかを、常に考えなくてはいられないこと。そういうパターンに、わたくしのものかきは、とらわれている。または、そのなかでだけ、もがいている。
それでわたくしはおもったわけなんです、内容が云々、ということを論じることは、すなわち差別化に通ずることにもなろう、なぜならば、そういう理屈でいけば、より内容の濃いもの、もしくはそこで伝えられているものが核心をついているものほど、「いい」というものになるわけで、さらに受け手の側に一種の解釈合戦のようなものを発生させることになる。そもそも作品とは「解釈」されるべきものか?「理解」すべきものか?作品を理解する、解釈する、という行為を、あまりにもいろんなところにあてはめていこうとする、あまりにもいろいろなものに「意味」を、もしくは「意義」を見出そうとする、そういう行為が、必然的に生むだろうもののこと。それは、一体何になるのか?
作品とは、ある程度、癒しでなければならない。なんとなくの感覚として感じていたことが、ことばとして納得できた瞬間でした。ものをかくことは、理解されること、共感を得ることへの欲求であり、欠乏の病理だ、とわたくしは(あくまでわたくしのケースだけど)思っているけれど、だからあらゆる創作は、すべて人間に向けてなされるものでなければならない。
その人間に向けてなされるものが、なにを指して、どこを目指して進むべきものだったのか、わたくしはどうもはっきりつかめていなかった。けれども、このエンデのひとことで、ああ、なるほどなあ、と思ったのですね。
妄想って、癒しの要素を多分に含むと気がついた。ジャキリっていいわ……あは……とかいう瞬間は、実は癒されているということなのね。こんな自明のことに、わたくしはいままで気がつかなかったということなのでした。だから、うまく云えないけれど、わたくしにとって書くという行為が欠乏感から生ずる病理であるということならば、その「書く」という行為には治癒の効果があるはずだ、それならば、読み手にとってもそれはひとしく治癒の効果を発するものでなければならない。
なんか、わかった。なんかわかったよ、わかったとしかいいようがないけれど、わかった。わかりにくいこと書いてすみません。個人的にはすごく納得してるのですよ。これでも。
すげえ楽になったよ。だからって質を落としていいという話ではありませんよ。それだけは、やらんように気をつけようと思います。けれども、進むべき方向が見えた、という話なのです。
なにかを感じたら、なにかこう、なにかの気分とか、なにかを味わっていただけたら、それはたのしいとかなんでもいいけど、それでいいのだ。単にそれでいいのだ。
読書とは、体験だ。そんな根本を、わたくしは、たぶんわすれていたのだと、思った。
そんなすごい一文に出会った。出会うべくして、出会った一文というか。
やっぱりエンデはすごい。そしてジャキリはすばらしい。←結局そこ
でも身体って、ちゃんとやればやったぶん応えてくれるみたい。うれしいことこのうえなし。
拍手にて「エロいの」に一票くださった方、しかと心得ました。。そりゃあもう最大限の努力をしたく思います。
ちょうどいまネタもひとつあることですし、がんがん書きまする!ありがとうございます!
そのほかにも今日まで拍手いただいた方、ありがとうございます。
表題の件。
古本屋でミヒャエルエンデのインタビュー本を手に入れたのですが(エンデは、わたくしがおそらくもっともすきな作家のひとり。『はてしない物語』のバスチアン少年はわたくしであり、あらゆるわたくしの、子ども時代の、象徴のようなひとだった。これはそのうち別の機会に書く気がおきたら書きます)、その中でエンデが「芸術は何より治癒の課題を負っている」というひとことをのべているのですね。文学作品は作者のメッセージだといわれているけれども、それはまちがいである、そんなものは非芸術的であり、本物の芸術は教訓なんてたれない。それを読む、あるいは見ることによって、前よりもりこうになるのでなく、なにかを体験し、心が豊かになること、なにかが健康になること、そういうものだ、という。
これだ!と思いましたね。同時に、わたくしはなんだかこう、穴に入りたい気持ちになっているのですよ。つまり、なにかをこめること、なにかを含ませること、示唆すること、伝えること、そういう、なんというか啓蒙的な活動に、文学というものが、小説というものが、のみこまれてしまっているのではないかと、そしてそういう思考に慣れ親しんだ自分もまた、この話の中でなにをいいたいの?なにをつたえたいと思っているの?と自問自答し、それ全体に創作活動そのものが、とらわれているのだと気づいたものだから。それはわたくしのなかに、もう意識レベルでしっかりと植えつけられていて、なにかを、なにかを云うこと、なにかを示唆すること、なにか内容を、意味をもたせること、そういうことが、あるべきものかきの道であると、盲目的に信じてきたわけなのです。「内容」を重視すること、ということばで云ってもいい。
なにかを表現することが、すなわち啓蒙的な意味を帯びてくること。なにを意味するのかを、常に考えなくてはいられないこと。そういうパターンに、わたくしのものかきは、とらわれている。または、そのなかでだけ、もがいている。
それでわたくしはおもったわけなんです、内容が云々、ということを論じることは、すなわち差別化に通ずることにもなろう、なぜならば、そういう理屈でいけば、より内容の濃いもの、もしくはそこで伝えられているものが核心をついているものほど、「いい」というものになるわけで、さらに受け手の側に一種の解釈合戦のようなものを発生させることになる。そもそも作品とは「解釈」されるべきものか?「理解」すべきものか?作品を理解する、解釈する、という行為を、あまりにもいろんなところにあてはめていこうとする、あまりにもいろいろなものに「意味」を、もしくは「意義」を見出そうとする、そういう行為が、必然的に生むだろうもののこと。それは、一体何になるのか?
作品とは、ある程度、癒しでなければならない。なんとなくの感覚として感じていたことが、ことばとして納得できた瞬間でした。ものをかくことは、理解されること、共感を得ることへの欲求であり、欠乏の病理だ、とわたくしは(あくまでわたくしのケースだけど)思っているけれど、だからあらゆる創作は、すべて人間に向けてなされるものでなければならない。
その人間に向けてなされるものが、なにを指して、どこを目指して進むべきものだったのか、わたくしはどうもはっきりつかめていなかった。けれども、このエンデのひとことで、ああ、なるほどなあ、と思ったのですね。
妄想って、癒しの要素を多分に含むと気がついた。ジャキリっていいわ……あは……とかいう瞬間は、実は癒されているということなのね。こんな自明のことに、わたくしはいままで気がつかなかったということなのでした。だから、うまく云えないけれど、わたくしにとって書くという行為が欠乏感から生ずる病理であるということならば、その「書く」という行為には治癒の効果があるはずだ、それならば、読み手にとってもそれはひとしく治癒の効果を発するものでなければならない。
なんか、わかった。なんかわかったよ、わかったとしかいいようがないけれど、わかった。わかりにくいこと書いてすみません。個人的にはすごく納得してるのですよ。これでも。
すげえ楽になったよ。だからって質を落としていいという話ではありませんよ。それだけは、やらんように気をつけようと思います。けれども、進むべき方向が見えた、という話なのです。
なにかを感じたら、なにかこう、なにかの気分とか、なにかを味わっていただけたら、それはたのしいとかなんでもいいけど、それでいいのだ。単にそれでいいのだ。
読書とは、体験だ。そんな根本を、わたくしは、たぶんわすれていたのだと、思った。
そんなすごい一文に出会った。出会うべくして、出会った一文というか。
やっぱりエンデはすごい。そしてジャキリはすばらしい。←結局そこ
こんばんはマスダです。しょうもないネタをひとつかいておきます。ひまつぶしにでも、どうぞ。
なんか昼寝してたらうなされたみたいな、ときおりあるへんな感覚について考えてたらできたネタ。こういうパターンすごく好きみたいだけど、たぶんわたくししか好きじゃないだろうな、と思うことこのうえないがしかし、のせてみる。
拍手のお礼ページにですね、簡易メッセージという機能がついたので、おくればせながら活用させていただくことにしました。
簡易アンケートっぽいものを兼ねているので、よろしければぱちぱちの際に、あなたさまの正直な欲望を(こら)おきかせ願えれば幸いです。もちろん、コメントくださっても結構です。。
それから、拍手いただいてありがとうございます。。コメントのお返事はお返事ページにてさせていただいております。いつもとてもうれしいです!
んではつづきよりネタへ。。
なんか昼寝してたらうなされたみたいな、ときおりあるへんな感覚について考えてたらできたネタ。こういうパターンすごく好きみたいだけど、たぶんわたくししか好きじゃないだろうな、と思うことこのうえないがしかし、のせてみる。
拍手のお礼ページにですね、簡易メッセージという機能がついたので、おくればせながら活用させていただくことにしました。
簡易アンケートっぽいものを兼ねているので、よろしければぱちぱちの際に、あなたさまの正直な欲望を(こら)おきかせ願えれば幸いです。もちろん、コメントくださっても結構です。。
それから、拍手いただいてありがとうございます。。コメントのお返事はお返事ページにてさせていただいております。いつもとてもうれしいです!
んではつづきよりネタへ。。
